全般に作柄良好 農業講座終わる

講座で最後の収穫作業。手前はホウレンソウ

 7月下旬から始まった「農業を知る講座」(西東京市谷戸公民館主催)は12月27日、最終の講座があった。参加者たちは公民館で感想を語り、畑に残った野菜を収穫した。

 

 講座は今年、新型コロナウイルス対策として募集を4人減らし32人とした。毎週火曜日の講座は講義を減らして畑での農作業の時間を確保し、全体の期間を短縮した。

 

 この結果、一部の作物で施肥や病虫害防除などを先生の保谷隆司さんが前もって準備することもあったが、「大方の作業は体験でき、理解してもらえたのではないか」と話し、作業量と人数のバランスもとれていたと振り返った。

 

 保谷さんは、大豆(枝豆)を始めとする12種類の野菜の作柄について「11月まで気温が高めだったこともあり、全体的に出来がよかった」と喜んだ。

 

 参加者一人一人が感想を述べた。保谷さんへの感謝や都市農薬への理解が深まったこと、講座を来年以降も長く続けてほしいことのほか、楽しかった畑の時間を思い起こして「これから『講座ロス』に悩まされそう」の声も。

 

 このあと畑へ向かい、最後の手ごたえを確かめながら大根を抜き、白菜、ホウレンソウは包丁を使ってすべて収穫した。分配は1人あたり大根2本と白菜1つ(または白菜2つと大根1本)とホウレンソウ2束相当。

 

 年が明けると、各班独自の活動として2月に芽キャベツ、6月にタマネギの収穫が予定されている。

収穫作業が終盤 農業講座

2品種を植えたニンジン。全てを収穫後、選別した

 農業を知る講座は先週、腐葉土作りのための落ち葉集めが降雨のため中止となり、2週間ぶりの収穫作業が12月20日にあった。

 

 このところ「今季一番の冷え込み」が続く。この日も午前10時の集合時に日陰では霜柱が 立ち、ホウレンソウなどの葉の表面は白くなっていた。

 

 野菜の収穫作業は大詰めを迎え、ニンジン、キャベツ、カブは畑に残っているすべてを収穫した。他の作物は、運べる量との見合いから青首大根1本、聖護院大根2個、ホウレンソウ2袋相当。白菜は外側の葉を寄せてひもでゆわき、収穫は次週に持ち越した。

 

 霜が降りた畑での作業は初体験。溶けてぬかるんだ土で滑らないように気を使ったり、根菜類が抜きにくかったりしたこともいい勉強になった。

 

 残さず収穫した作物は大きさにムラがあったため、できるだけ大小が片寄らないように分けた。私の場合、ニンジンは15本、カブは8個あった。

 

「重量野菜」が多く、大きな袋二つに分けた。自転車は前かごしかないので、一つはハンドルに掛けた。サドルに腰を下ろし、こぎ始めたところ、バランスがとれず、すぐふらついた。

 

 命の危険を察知し、押して帰ることに。自転車の重心を体側に寄せ、右手はブレーキレバーに指を掛けて緊張しっぱなし。エンジンのかからない中型バイクを押し歩きしているようで、約15分間の道のりはとても長かった。

円熟の話芸堪能 柳家さん喬独演会

今年の通い納め、柳家さん喬独演会の演目

 柳家さん喬独演会が12月17日に三鷹であり、「円熟」という言葉がぴったりの話芸を堪能した。

 

 さん喬の演目は前半が「短命」と「寝床」、後半は「柳田格之進」。

 

 「短命」は、質屋のムコさんが相次いで早死にするのはなぜか、というつやっぽい話。もったいぶった言い回しの連続に、「うふっ」という種類の笑いが何度もこみ上げてくる。

 

 マクラでつなぎ、2席目の「寝床」へ。義太夫の会を催す大家の声もすごいが、聴きに行くまいと逃げ回る人物の声音の使い分けがうまい。オチが小僧の寝場所ではない「さん喬バージョン」は初めて知った。

 

 謹厳実直な武士(浪人)と両替商との囲碁勝負を軸に盗難事件を絡めた「柳田格之進」。笑いがないままに話が進むが、すこしもゆるみがなく、人情噺(ばなし)にどっぷりと浸れる。ハッピーエンドのさん喬バージョンで、連れがいたら「いい噺だったねぇ」と語りかけずにいられなかっただろう。

重要文化財の富士塚めぐる

江戸時代築造の原形をよく保ち、国の重要文化財となっている豊島長崎の富士塚

荒々しい山肌を見せる池袋氷川神社富士塚は豊島区指定の史跡

 

 毎日新聞旅行の「重要文化財富士塚めぐり」が12月16日にあり、15人が参加した。

 

 最初の富士塚は江古田浅間神社の江古田富士(練馬区)。西武池袋線江古田駅北口のエスカレーターを下りると、道路の向こうにすぐ鳥居が構える。富士塚は小ぢんまりした拝殿の後ろにあり、拝殿の右側から登る。

 

 江戸時代後期の天保年間に、地元の富士講の人たちが富士山から持ち帰った溶岩を積み上げて造った。高さは約8メートル。

 

 当時築造され、ほぼ完全な形で残っているのは、都内ではここと次に行く長崎富士浅間神社の豊島長崎富士(豊島区)と、今回のルートにない小野手照崎神社の坂本富士(台東区)の3カ所だけとされ、いずれも国指定の重要有形民俗文化財となっている。

 

 文化財保護のため、江古田富士に登れるのは正月三が日と山開きの7月1日、9月の第2土・日曜に限られる。登山口からは木々が生い茂っていて山の姿が見えない。ガイドに拝殿の左に案内され、山頂に小さな祠(ほこら)を見ることができた。

 

 豊島長崎の富士塚も高さは約8メートルで表面が富士山の溶岩で覆われている。頂上の大日如来坐像など約50の石造物で構成され、富士信仰の強さを示すという。

 

 ここも普段は登れず、毎年7月初旬の土・日曜の山開きのときだけ登れる。

 

 最後に訪れたのは池袋氷川神社の池袋富士。社殿左に1912(明治45)年に築かれた高さ約5メートルの富士塚がある。草木の生えていない荒々しい「山容」を見せる。

 

 豊島区指定の史跡で、7月1日のお山開きにしか登れない。入り口には社務所名で「お山にのぼらないでください」の看板が立っていたが、誰かが頂上付近にほとんど岩と同化した猫を発見。猫は寝そべって下界の人間たちを見下ろし、幾度か鳴き声を聞かせて存在を主張した。「字が読めないからいいね」という声に笑いが起き、和やかな雰囲気に包まれた。

 ◇

 江古田の富士塚から始まったツアーはJR埼京線板橋駅近くの近藤勇新選組隊士供養塔(北区)まで約5キロの行程。

 

 能満寺(練馬区)の紅葉、祥雲寺にある漫画家・石ノ森章太郎の墓(豊島区)、推理小説家・江戸川乱歩の邸宅と土蔵、立教大学池袋キャンパスとチャペル内部、繁華街のオアシス・池袋の森など、富士塚以外にも見どころが多かった。

 

 旅行代金は昼食付きで当初8800円だったが、都の観光支援事業「もっとTokyo」の適用で2500円が割引された。

旧田無市の戦跡たどる 公民館が講座

田無駅北口の「平和のリング」付近で空襲犠牲者を悼む参加者たち

 西東京市芝久保公民館は12月11日、平和を考える講座で「この町にも戦争があった」と題し、太平洋戦争による戦跡めぐりを行い、20人が参加した。

 

 講師は「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」代表で私立中・高校教諭の牛田守彦さん。現地を歩く前に館内で学習し、牛田さんは米軍の空襲はあくまでもエンジンを組み立てていた中島飛行機武蔵製作所(武蔵野市)が目標だったことや、犠牲者には防空壕に避難した子どもと女性が多かったことなどを話した。

 

 米軍が撮影した爆弾投下の痕跡を残す航空写真などをスライドで見せ、これからの立ち寄り先についてもあらましを説明した。

 

 最初に訪れたのは橋場交差点角にまつられた交通安全地蔵。空襲で頭部が行方不明になったが、戦後、頭部を再建したところ交通事故が減り、今の名が付いた。白い防寒着を着ていた。

 

 やすらぎのこみちを田無の中心部へ向かう。途中、被爆して枯死し、今はなくなった柿の木の場所を遠目に見、観音寺の墓地で「濱野家」の墓所を訪ねた。自宅敷地の防空壕に退避した祖母や妹ら家族6人を失った。

 

 やすらぎのこみちを右折、青梅街道を越えると田無小学校だ。来年創立150年を迎えるが、戦時中は兵舎として使われた。2018年には校庭から焼けただれた訓練用銃器などが大量に出土し、話題となった。

 

 ふれあいのこみちを通り、田無駅北口に出る。商業ビル「アスタ」と駅をつなぐ通路にかかるモニュメント「平和のリング」。この付近にあった建設会社の大型防空壕で31人が生き埋めになって死亡したという。

 

 終着の総持寺では山門の手前で戦災慰霊塔(通称・平和観音)、境内では家族を亡くした親子が寄贈した鐘楼、墓地では墓誌の氏名の上にわざわざ「戦災死」と刻んだ家の墓を見た。4月12日が命日の墓はこのほかにも多く見られ、「田無大空襲」を裏付けているという。

 

 牛田さんは西東京市には空襲のことを知り学ぶ資料がたくさんあると指摘し、今回の野外学習が「戦争の『なぜ』を学ぶきっかけになれば」と話した。

視野検査は問題なし 脳出血その後

 12月9日夕、視野検査の結果を聞くため自宅に近い眼科医院に行った。「ほぼ問題ないようなので、眼科はいったん終わりにしておきましょう」。これで年明けの運転免許更新の最終手続きに自信を持って臨める。

 

 脳出血の後遺症として、目の異常は大きな心配の種だった。7月下旬に脳出血を発症して隣市の病院に入院すると、白地のものに点やしまの模様が見えるのに気づき、視野検査では左の視野が狭いとわかった。

 

 退院後は模様が見えなくなり、その病院の視野検査でも「日常生活に支障はない」ところまで回復。事後の検査はもよりの医療機関にゆだねられた。それが今回の受診先である。この医院の医師は、「見え方が変」という私の訴えに脳の疾患を疑い、大病院の脳外科に紹介してくれた恩人。

 

 初診時には右目も左目も同じ場所が欠けていたが、今回は「かなり良くなっている。目に異常もない」。私が話した最近の脳外科の診察状況と合わせて、「今後変なことがあったら検査に来て」ということだった。

農業体験から環境問題考えよう 農業講座

自分が写っている写真を選ぶ受講生。後日、絵はがきになる

 西東京市谷戸公民館主催の「農業を知る講座」は12月6日、同館で座学があり、環境カウンセラーの小野紀之さんが「都市農業のこれから」と題して講演した。

 

 小野さんは農業を巡る新しい展開として「市民園芸学」という学問分野が生まれ、地域コミュニケーションの形成など社会課題の解決に役立っており、貸農園などのビジネスも生んだと指摘。

 

 農業・農地について、都市農業の多様な役割が評価され、都市住民の4人に3人が「保全すべき」と考えていると農林水産省の調査結果を紹介。

 

 一方、地方では農地を宅地にして人口流入を図ることに向かいがちだが、若い世代には少量多品種で洋菓子店と契約栽培する人が出てきたという具体例を示し、市場出荷一辺倒の農産物供給に変化が生まれているとした。

 

 都市農業の最大の役割は「新鮮で安全な農産物の供給」としたうえで、身近な農業体験の場を提供することで都市住民のコミュニケーションづくり、生命を考えることなど子どもへの教育、高齢者の生きがいづくりに役立つと強調した。

 

 また都市農地は災害に備えた開放空間の役割も大きく、地震時の避難場所や仮設住宅の建設用地として利用できるよう地方自治体と農家・農協の間で協定を結ぶ取り組みが進んでいる。

 

 小野さんは、東京都が行った都内の農業・農地の多面的機能評価(2015年)の評価額(年間)について解説。総額2465億円のうち農業生産機能は303億円で12%にとどまり、公益的機能への期待や評価の大きさがわかる。

 

 公益的機能の中でも環境保全の評価額は527億円と最大で本来の農業生産を上回る。ヒートアイランド現象やゲリラ豪雨の影響が大きいとみられる。「防災」と「生物多様性保全」も300億円台となった。

 

 多面的あるいは公益的な役割が市民に認識されてきたのに対し、公的資金の投入や行政の具体的な施策は立ち遅れている、と小野さんは指摘する。

 

 このような状況を踏まえ、「環境」を考える場合は、例えば水を無駄に使わない、合成洗剤を使わないことで水を汚さない―といった一人一人ができることを実践し、「西東京市を農業と共存できるまちにして」と締めくくった。

   ◇

 裏面全部が農業体験の現場写真という絵はがきを作るための写真選びと申し込みが、この日の講座前後に行われた。

 

 絵はがきづくりは講座の一環で、農業に携わる楽しみや収穫の喜びを写真で切り取り、それを知人に見てもらうことで都市農業の理解者を増やそうというのがねらい。

 

 小野さんが4台のカメラを受講生たちに貸し、小野さんが撮ったり受講生同士が撮り合ったりしたすべての写真を8枚ずつ大きな紙にまとめ、注文を受ける。注文は受講生1人3枚まで。無料で絵はがきにしてもらえる。

 

 受講生全員が収まった絵はがきは先行して開講前に配布された。この日申し込んだものは20日の講座で配布できる見込みという。