亀戸駅~押上駅を歩く 話題たっぷり3時間

洋風の壁面にデザインを凝らした「看板建築」の店舗

東京スカイツリーの下、北十間川を泳ぐこいのぼり

 4月25日、JR総武線亀戸駅江東区)から東京メトロ半蔵門線ほかの押上駅墨田区)まで約2.5キロを約3時間かけて歩いた。亀戸天神の藤見物(別掲)をメーンとする新聞社主催のまち歩き「亀戸藤棚コース」だ。

 

 まず亀戸駅北口の駅前公園。積み重なった3匹の亀の像が水を噴く。荒川の現在の水位がわかる塔形のモニュメントは、ここがゼロメートル地帯であることを実感させる。過去の大水害時の水位も表示されている。

 

 明治通りの商店街を北上する。ご当地からは姿を消した「亀戸大根」を店先に展示する弁当店、有名演歌歌手がデビュー時に店内ライブを行ったが、経営者の高齢とコロナ禍で2年前に閉店したという演歌専門のレコード店などをガイドの人が教えてくれる。

 

 蔵前橋通りとの交差点で左に入ると間もなく香取勝運商店街の入り口。通りは亀戸香取神社の参道にもなっている。木造の建物の表面に銅板やタイルを貼り、洋風の外観を装う「看板建築」が目立つ。東京大空襲ののちに再建されたという。

 

 亀戸香取神社藤原鎌足香取神宮から分霊を移し、665年創建とされる。近年はスポーツ振興や勝負事の神として信仰されているという。

 

 神社裏手を出て亀戸天神社へ向かう途中、江戸切子の作家の工房があり、ガレージにはポルシェがおさまっていた。江戸切子の工房は江東区墨田区に多いという。

 

 亀戸天神社は鳥居の扁額(へんがく)に書かれた「東宰府」が東国の大宰府天満宮を表し、太宰天満宮から神官が来て、本家に倣って造営された極めて格式高い天満宮・天神であるとの優位性がガイドの人から説明された。どうも「湯島より格上」ということのようだ。

 

 横十間川沿いに北上すると龍眼(りゅうげん)寺。眼病を治すご利益があるとされる。江戸時代から「萩寺」と呼ばれていた。今は若木を植え育てている最中のよう。三猿の庚申塔芭蕉の句碑など江東区内では古い部類のものが残っている。

 

 葛飾北斎ゆかりの法性(ほっしょう)寺に立ち寄り、横十間川が合流する北十間川に架かる十間橋へ。逆さ富士ならぬ「逆さスカイツリー」が見られ、撮影スポットとして人気を集めたという。ただ、この日は水鳥が波を立て静止した塔は見られなかった。カメラを構える人の姿もなかった。

 

 川沿いの岸辺を押上駅に向かった。スカイツリーの下、北十間川を横切って泳ぐ多数のこいのぼりが最後の見どころとなった。

藤の名所・亀戸天神 遅咲きが見ごろ

亀戸天神社の境内で咲き誇る藤。背後に東京スカイツリーが入る人気スポットだ

 春の花の開花が全国的に早く、東京都江東区亀戸天神社の藤も見ごろが過ぎているのではないかと心中穏やかではなかったが、杞憂(きゆう)に終わった。

 

 4月25日、新聞社主催のガイド付きまち歩き「亀戸藤棚コース」に参加した。亀戸天神社は歴代の徳川将軍の何人かが訪れ、浮世絵にも残る、江戸時代から藤の名所。戦災後は氏子らの協力で復興し、境内には15の棚に50株がつるを広げる。

 

 今年は4月15日から5月5日まで恒例の「藤まつり」が開かれている。早咲きの株は花を落としていたが、太鼓橋と太鼓橋の中間付近にある遅咲きの方は見ごろを迎え、多くの観光客がカメラを向けたり自撮りをしていたりしていた。

たかが肋骨骨折、されど…

 不健康の坂を転がり落ちる。そんな言葉が浮かんできたのは、肋骨(ろっこつ)骨折の診療を受けた翌朝だった。

 

 今では習慣になっている起床直後の体重測定で、信じられない数字が出た。昨年夏、脳出血で10日間の入院生活を送り、退院後は80~81キロだったのに、1年も経たないうちに5キロ前後増え、4月23日の今朝は未到の87キロ台に。測りなおしても50グラムさえ減らず、現実を受け入れた。

 

 朝食はパンを一切れに抑えた。バターやジャムは塗らなかった。牛乳はいつもの低脂肪牛乳をマグカップ8分目に。

 

 さて、コーヒーをいれる前に、薬を飲んでおこう。既往症の痛風脳出血に対応した錠剤3粒に、骨折で処方された痛みを抑える錠剤、胃の粘膜を保護する錠剤が加わった。どれも朝食後30分以内に飲むよう指示されている。

 

 5種5錠を一度に飲むのは75年の人生で初めて。「薬漬け」という言葉が浮かび、今の私と同じ年頃だった父がもっと多くの薬を携えて旅に出ていたいたことを思い出した。

 

 肋骨骨折では前夜、風呂から上がって胸部とひじに消炎鎮痛テープを貼るのに悪戦苦闘。貼り損なって何枚かを無駄にした。胸部を固定するバスとバンドも締め付け具合など取り扱いは簡単ではない。

 

 医師の話では3週間が一応回復の目安。それまで強い運動はできないから、当面は間食と食べ過ぎに注意しよう。脳神経外科の医師からも食べ過ぎを警告されていたし、今度こそ、不健康への転落を止めなければならない。

大正と令和、恋愛・結婚めぐる母娘の会話劇…とその後

 演劇を見たくなり、4月19日に最前列の席が取れた三鷹のホールに赴いた。劇作家・岸田國士が大正時代に書いた「葉桜」の朗読と、時代を現代に置き換えた2人劇「あたしら葉桜」が連続して演じられた。

 

 舞台は8畳ひと間。登場人物は母と娘、とシンプルな舞台設定。娘の恋人のことを知りたがり質問攻め、カレシの人間像や結婚生活を妄想し、娘の相手にふさわしいかを早合点する母親。いつの時代も年頃の娘を思う母親の心情は変わらないのだろうな。

 

 そんな感想を持った私だが、入場時に渡されたチラシによると、作家は家父長制の色濃い時代とネット社会の現代との恋愛観や結婚観、大正末期の口語と現代の関西弁口語と、「比較」の妙を狙っていたらしく、別のメディアでは現代の娘を同性愛者とする設定だとも言っていた。

 

 深い所を知らなくても、2人の俳優は見事に役にはまっていて、私も割って入って口出ししたい気持ちになった。母親役の俳優さんが、あっちへ飛びこっちに飛び跳ねて正座を繰り返すというエネルギッシュな一人芝居は、ただただあっけにとられた。

 

 3年前、コロナ禍により公演直前で中止に追い込まれた「あたしら葉桜」だそうだが、その分、熟成も進んだのではないか。

  ◇

この感想を書き留めるのに時間がかかったのは、二つの理由による。

 

 一つは、帰路に向かい、バイクにまたがり会場を離れかけたとき、左に「立ちごけ」した。左右の安全確認の際、視野の左に車が見え、ブレーキかけた瞬間、車体の下敷きに。

 

 車体は一部損傷、体も胸の打撲と手足の擦り傷で自力走行に問題がなく、無事約8キロを走って帰宅。

 

 胸の痛みがひどくなってきたので肋骨(ろっこつ)骨折を疑い、翌20日病院へ。レントゲン撮影すると、明確な骨折やヒビは認められなかったが、「骨折しているつもりで生活して」と整形外科の先生。この日は演劇鑑賞を文章化する気力が湧かなかった。

 

 医師が着用を勧める胸部固定帯はこの時点では不要と思い、家にある鎮痛テープを患部に貼って様子を見ていたが、腕を曲げたり伸ばしたりしても胸に鈍痛が走り、寝床につく時も、横になり上体を動かす時も痛みが走り、睡眠に不安を感じる。

 

 22日は通風の経過を診てもらっている別の整形外科医師の予約診療日。肋骨骨折の件は引き継がれていて、症状を訴えると、胸部固定帯での処置と痛み止めの薬の処方箋(せん)を出してくれた。

 

 こうして「あたしら葉桜」を鑑賞したことを記録に残せるまで復したのだが、体調とは別に、ためらいがあったことを白状する。

 

 それは舞台そのものに関するもろもろの不明や疑問。チラシをろくに読まず、基本的に「笑い」を求めてチケットを買ってしまった。そもそも岸田國士は読んだことがない。作家や演出家の企図をどれだけ察知して観劇に臨んだのか。そんな人に何が書けるのか。見終わった今なお、「あたしら葉桜」のタイトルの意味をあれこれ考える。…ひどいものでしょ。

やはり他愛ない、老いぼれ男たちの飲み会

 「リ組会」という集団がある。江戸の火消しみたいだが、1966年に東京の私立大学の同じ学部に入学し、語学のクラスで2年間一緒だった者たちの、まあ、飲み会仲間の名前だ。

 

 新型コロナによる行動規制が緩み、3月31日に東京都江東区の焼き鳥店で3年2カ月ぶりに顔を合わせた。

 

 3年余の空白は、75歳以上の男たちに建設的な何物をももたらしていないことがわかった。第一に、7人のメンバーのうち2人が参加できなかった。1人は膝の状態が悪く長く歩けない。もう1人は奥さんの病気でそばを離れられない、ということだった。

 

 最後に店に入ってきた男は心臓と肺をつなぐ大動脈の手術を受けるので5月で老人福祉施設の職を辞めると言う。模式図を出して説明した。ついでだから私も昨年夏、脳出血で入院したことを話した。

 

 すると、ゴルフで腰を痛め治療中と言う男がいて、話題はいったんゴルフに移ったが、唯一の運動がゴルフという別の男は「飛ばなくなった」と嘆いた。

 

 病気談義を黙って聞いていた男は「車の免許を返納した」と運転経歴証明書を見せた。話は医療保険で受け取った保険金をどう取り扱うか確定申告のやり方にも及んだ。

 

 そんな中で「健康で100歳を迎えるための講演会」をプロデュースしているとの発言に、「おれは83歳まで生きれればよい」と受ける男がいた。なぜ半端な年齢なのか、ツッコミはなかった。

 

 健康や病気が話題の中心になることは、誰もが予想している。それでもどこかで誰かが息抜きの話題転換を試みるのが常だ。「今日のシャツ、おしゃれだな」「きれいな白髪だ」。しかし、男同士の褒め合いは長くもたない。たいていは毒を含んだ言葉が続き、笑い合う。

 

 体に良いことをしようと、だれもが思っている。7千歩から8千歩は毎日歩いているという男は、いろいろな機能を持つスマートウオッチを腕から外して見せてくれた。手術を控えた男は趣味を広げ、俳句を始めたと言う。

 

 3年余の時間に起きたそれぞれの事件-。だが、客5人がそろうと、時をさかのぼるかのように前回の宴席で少量飲み残した焼酎の一升瓶が出てきた。みんなで感激の声を上げた。

 

 ただ、買い足した新しい一升瓶を半分近くも飲み残したことと、コース料理が終わった後の、締めのおにぎり、またはお茶漬けを誰一人注文せず、いや注文することさえ忘れていたいたことが、老いを如実に証明していた。

 

 ともあれ、この集まりをこれからも続けていこうと全会一致で決め、大手術とリハビリを待つ一番ヤバい男と一人一人握手し、10月の再会を誓うのだった。

下保谷の屋敷林「作左衛門の森」残そう 市民団体が講演会

屋敷林を形作る、表門付近のケヤキの大木。奥が主屋

講演会の会場となった土蔵の入り口

 西東京市保谷3丁目に残る屋敷林と緑地を後世に残そうと、民間有志でつくる「作左衛門の森を愛する会」(伴武彦会長)が3月26日、初の一般向けイベントとして講演会を敷地内の土蔵で開いた。

 

 作左衛門の森は高橋孝さん(75)夫婦が暮らす住宅を中心とする敷地一帯約2800平方メートル。当主は江戸期享保まで交代名主役を務めていた旧家で、屋号が「作左衛門」。

 

 徒歩3分ほど南にある別の旧高橋家屋敷林(市が買い上げ、現在は特別緑地保全地区)は「おかしらさんの森」と呼ばれ、屋号で区別された。

 

 高橋孝家の主屋、土蔵、衣装蔵、納屋、表門の5棟は貴重な国民的財産として国の登録有形文化財になっている。改修や増築はあったが、いずれも築90年以上の歴史的建造物だ。

 

 表門から建物を取り囲むスダジイケヤキなどの大木を主とする屋敷林は、建物と樹林の一体的な美しさを見せる。

 

 イベントは当初、作左衛門の屋敷林と下保谷の緑地をめぐるツアーとして企画されたが、降雨のため土蔵内での講演会に変更され、午前・午後の部とも約20人が参加した。

 

 講演会は東京農工大学名誉教授の福嶋司さんが「屋敷林を考える」と題し、武蔵野の屋敷林は冬の季節風対策と改築時の材料など生活資源であったことや樹木の配置、外国には似た形態がないことなどを画像を見せながら話した。

 

 しかし、所有者の高齢化や税率が高く猶予期間が短い遺産相続制度などから屋敷林の消失が進んでいると指摘。また屋敷林は景観維持だけでなく、地域の文化を伝える生き証人でもあるとして住民と行政が一緒になり、行政同士も連携して国に対策を求めていくことの必要性を強調した。

冴える曲技 シルク・ドゥ・ソレイユ

超人的な演技と高い芸術性で観客を楽しませた公演のフィナーレ

世界的サーカス集団シルク・ドゥ・ソレイユの東京公演会場

 日本か米国か。野球の世界一が決まる3月22日は、世界的なサーカス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」東京公演(2月8日~6月4日)を観覧する日でもあった。

 

 サーカスは午前11時30分開演。野球が二回、今永がソロ本塁打を浴び、米国に先制されたところで家を出なければならなかった。

 

 観覧は昨年、東京都内に住む娘に声をかけられ、私たち夫婦と娘夫婦が一緒に行くことで日にちを決めた。観覧前日は開催地最寄りの東京テレポート駅での待ち合わせを詰めた。

 

 初めて降り立った東京テレポート駅から会場のお台場ビッグトップへ至る風景は、まるで未来都市。一面コンクリートで固められた広場の遠くに、超高層ビルの上部がいくつものぞいていた。

 

 人の群れの流れにしたがって歩みを進めると、若い樹木や足下に花盛りのチューリップを配した庭園の趣が現れる。

 

 開場は予定の10時30分がやや遅れたが、開演は定刻通り。30分の休憩を含め約2時間10分の公演だった。

 

 公演のタイトル「アレグリア」はスペイン語で「喜び」や「歓喜」の意味という。王を失った国が保守層と若い世代の争いの末、若者たちが自分の国に光と調和をもたらすというストーリーが、超絶技巧のアクロバットとコミカルな寸劇、生の歌などで表現される。

 

 回転やひねりを加えて飛び移る、スケールの大きい空中ブランコ。両端に火をつけたファイアナイフを自在に操りながらのダンス。全身を使ってたくさんのフープを回転させ体を隠してしまうフラフープーー。息を殺して見入ってしまう。

 

 超人的な演技といえば内村航平さんの鉄棒を思い出すが、見ていてハラハラする気持ちを抑えられなかった。シルク・ドゥ・ソレイユの演技は不思議と緊張感を誘わない。演者自身が楽しんでいるようにさえ見える。これが「プロの力」なのか。空中ブランコなど相手のある集団演技はなおさら難しいはずなのに…。

 

 休憩中に、娘が仕入れてきたワールド・ベースボール・クラシックWBC)で日本代表勝利の情報を聞いた。帰宅後、テレビのチャンネルを何度も替え、野球ドラマのダイジェストと歓喜の風景を楽しんだ。