狭山湖・多摩湖造った軽便鉄道跡を歩く 北多摩自然環境連絡会

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北多摩自然環境連絡会は本年度最後の活動となる「狭山湖多摩湖を造った軽便鉄道跡探索」を1125日に武蔵村山市内で行い、21人が参加した。
西武拝島線西武立川駅に集合、バスに乗り瑞穂町境の春名塚下車。ここから野山北公園自転車道を東に向かって歩いた。自転車道の地下に直径約3メートルの導水管が埋まっていて、多摩川の水を村山貯水池(多摩湖)へ送っている。もとはコンクリート製で大正時代に完成したが、昭和の末期(1988年)に強度の高い鋳鉄(ちゅうてつ)管に代わった。
自転車道は桜並木が続く。東京都水道局資材置き場の先の右手の雑木林は残堀(ざんぼり)砕石場跡と呼ばれ、多摩川から運んできた砂利を砕いたり選別したりしたという。トロッコのプラッとホームだったのではないかというコンクリートの土台がそれをしのばせる。新青梅街道を越えると黄や紅色の葉が道をいっぱいに覆い、風もないのに樹上から次々と葉が舞い落ちてきて、ひとときロマンチックな気分にいざなう。
機関車の車庫や燃料庫などがあった場所は、なにひとつ面影を残さない横田児童遊園に変貌しており、道路越しに横田トンネルの入り口を見つけなければ探索の意気はしぼみそう。廃線路マニアにとってはトンネルこそが本命の人気スポットだそうだ。
トンネルに入る前に武蔵村山市立歴史民俗資料館に立ち寄り、学芸員から軽便鉄道の歴史を解説してもらう。軽便鉄道は村山貯水池の完成後、東京の水がめがなお足りないため山口貯水池(狭山湖)の建設工事用に昭和3~4年に敷かれた。羽村から横田トンネル手前までは村山貯水池への導水路の地上部を利用。その先は6つのトンネルを掘り抜いて砂利などを山口貯水池堰堤(えんてい)の工事現場へ運んだ。
横田トンネルから数えて4つ目までは自転車道として整備され、地区に合った名前が付いている。「コンクリートの天井は昭和初期のまま」(学芸員)という当時の技術水準の高さに驚く。5つ目のトンネルは都水道局の管理下にあり、名前もないうえ、金属パイプなどで入り口が封鎖されていた。
北多摩自然環境連絡会は、ほぼ5年をかけて多摩川玉川上水に関わる水環境を探索し、今年度で一区切りついたとし、新たな企画を考えるという。(写真下は桜の落葉に彩られた自転車道、立入禁止の5号トンネル)
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