今年度の活動の統一テーマは「多摩の丘陵を訪ねる」。この日はJR中央線高尾駅前に16人が集合。寺社風の構えの北口駅舎が、大正天皇の大喪列車の始発駅として新宿御苑に設置された仮設の駅舎を移したものであることなどをリーダーから聞き、線路に平行する旧甲州街道との間の生活道路を西進して、いわくありげなレンガのトンネル、南浅川をまたぐ鉄道の新旧の橋台、中里介山の小説「大菩薩峠」に登場する旧花屋旅館を巡る。毎度ながら小ネタの挿入が上手だ。
両界橋から南浅川左岸を歩く。遠回りをして高尾駅へ戻る感じのルート。難読地名の廿里(とどり)町にはカワガラスの捕食を撮影しようとカメラを構える人がいたり、「イノシシ注意」の表示板が掲げられていたりと、まだまだ野趣豊か。見逃して不思議のない旧鎌倉街道も教えてもらう。
ぶつかった高尾街道(都道46号)の緩やかな坂を上ると、お目当ての森林科学園。約250種、1500本が植えられ、サクラの咲くこの時期の入園料は100円高い400円。平日だが、中高年の客でなかなかのにぎわいだ。サクラ前線は前日、青森県弘前市に上陸したが、同園内は遅咲きの八重桜が満開で、普賢象や鬱金(うこん)、御衣黄(ぎょいこう)などそれぞれの美しさを楽しんだ。真っ盛りの関山(かんざん)を見下ろすベンチに腰を掛けて昼食をとった=写真。
同園からは、もう1本の高尾街道(都道47号)を下り、武蔵野陵墓地(多摩御陵)の入り口を遠目に見て古道橋から都立陵南公園を東へ抜けた。多摩御陵道路を横切り、住宅街をさらに東へ。廃止となった京王線の橋台が2基だけ取り残されており、宅地を分ける大きな隔壁に見える。なぜ今なお残るのか、不思議を秘めた遺構だ。ここから川の右岸を南浅川橋へ戻る。途中、多くの八重桜が岸辺を彩り、数十匹のこいのぼりが川を横切って飾られている所もあった。住民主催の「長房ふれあい端午まつり」にちなんだもののようだ。
小さな旅の締めくくりは、旧甲州街道の交差点である町田街道入り口に近い熊野神社。神木はカシとケヤキの根が一つになり、縁結びの木と呼ばれている。八王子城主が催すうたげが縁で知り合った若い男女がこの木の下で逢瀬(おうせ)を重ねたという。
おまけを一つ。高尾駅前で解散したあと、同駅2番線ホームで、太平洋戦争中に米軍の機銃掃射を受けて弾痕が残るレールを使った屋根の支柱を2本教えてもらった。なぜか説明板はなかった。同駅発着で約9キロ、5時間のコース。(下の写真は、左から鉄道の橋台、熊野神社の縁結びの木、弾痕の残るレール)