博物館の名称にしては珍しい「自然・人文」がつくのは、別々の補助金をもらって建てたためで、「二世帯住宅だと補助金がいろいろもらえるのと同じ。この博物館の玄関も二つある」とガイド役の学芸員が説明した。また、「○○式土器」のように型式や様式の基準となる名が付けられた「標式遺跡」が横須賀に多いのは、戦後、東京の高名な先生が日帰りで来て命名したためで、当地の遺構や遺跡だけに特徴的なものではない、と考古学の内実をさらりと解説するなど雑学の引き出しをたくさん持ち、本番の見学も飽きさせなかった。
見学のメーンは、この考古学担当学芸員による企画展示「どき!土器!―横須賀出土のやきものたち―」。6月1日までの開催だったが、遠来の歴史愛好者団体のために臨時延長の計らいとなった。
縄文時代が少なくとも9500年前までさかのぼることを裏付けた、初公開の夏島式土器=写真。神のご託宣を聞くため琴を弾く王の姿とされ、秋には奈良国立博物館に貸し出される古墳時代の埴輪(はにわ)。江戸時代前期の有力旗本、向井将監正方(むかいしょうげんまさかた)夫妻の遺骸を納めた古備前と常滑焼のかめ棺。そして幕末の横須賀製鉄所で焼かれ、日本最古の洋式灯台である観音埼灯台に使われたレンガへと、横須賀1万年の歴史を焼き物からたどった。
館内の講堂で昼食をとらせてもらい、バスと徒歩で三笠公園へ。
戦艦「三笠」がイギリスで建造され、日露戦争で日本の連合艦隊の旗艦となり、日本海海戦で勝利したことなど一通りの歴史をビデオで見た後、主砲などがある上甲板と戦争や海軍にまつわる展示室などがある階下の中甲板を見て回った。海上自衛隊に今春入隊した若者たちも集団で見学に訪れていた。(下の写真は左から、琴を弾く男性埴輪、江戸時代前期の有力武士のかめ棺、記念艦三笠)