千葉市内の3博物館を巡る 西東京郷土文化会

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 西東京市郷土文化会の7月例会は1日、貸切バスを使い千葉市内にある県立、市立の3つの博物館を見学した。30人が参加した。
 
 最初に訪れた千葉県立中央博物館の特徴は「千葉に特化し、大学と同じ研究機関。研究員が多い」こと。本館では、テーマ別に大きく5つあるコーナーのうち「房総の歴史」について、別の博物館館長経験者の学芸員から重点的に説明を受けた。
 
 このコーナーの目玉は実物の「貝の谷」=写真。縄文人が400~500年間、台地の斜面に貝を捨ててできた貝塚の断面をはぎ取って展示した。県内には主な貝塚だけで55カ所と全国最多。貝塚は1千年続いたという。展示の貝層はハマグリが小さく、量も1割足らずで「集落の厳しい食糧事情が推察できる」という。
 
 縄文時代に階層差が生まれていたことを示す、イルカのあごの骨で作った男性の装身具や産地の新潟と交易のあったことがわかるヒスイなど古代から太平洋戦争の敗戦後、館山が国内で唯一占領軍の直接軍政下にあったことまで、興味深い話を聞けた。
 
 研修室を借りて昼食をとり、千葉市立加曽利貝塚博物館へ。3人のボランティアガイドが付き、3班に分かれて見学ポイントが重ならないよう歩いた。加曽利貝塚は東京ドーム3個分と貝塚として国内最大規模で国の史跡。博物館は、関東一円で出土した縄文土器の年代の基準となっている「加曽利E式」「加曽利B式」の実物や丸木舟などの展示物も目を引くが、貝塚の持つ情報量やスケールの大きさを実感できるのは屋外施設だ。
 
 貝層などの断面を保存する観覧施設は北貝塚と南貝塚に1カ所ずつある。北側のハマグリは貝殻が小さく、刻まれた成長線からも産まれて間もなく乱獲されたことがうかがえる。一方、南貝塚のハマグリは2~3年生で、漁場となる干潟が遠くに現れるようになった時代のものと形成時期の違いがわかる。北貝塚には4500年前から600年間使われたとされる竪穴住居跡を保存し観覧できる施設もあった。
 
 見学の最後は千葉市立郷土博物館。小田原城をまねて1967年に建てた「城郭型建物」がそのまま博物館になっている。この地にはとりでのようなものはあったが、城があった痕跡はないという。展示解説ボランティアの人は、鎌倉幕府の創設に功労のあった千葉常胤(つねたね)と千葉氏一族の興亡を展示資料で解説してくれた。最上階の5階展望室から市街地を見た。(下の写真は左から加曽利貝塚の貝層断面観覧施設、城郭型の千葉市立郷土博物館)
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