
館は20年前に造られ、常設展示室は全体が円形。博物館としては珍しい設計といい、「四角の方が展示しやすいはずですが」と平野さん。
出入り口近くに「横浜2万年の歴史が15分でわかる」という映写室「歴史劇場」があり、右回りに原始から近現代まで5つの時代に区切られている。
古代―「大きな古墳がなく、横浜が田舎だったことを示している」。中世―「大名がいない。いつの世も政権地の裏側に位置する後背地」。平野さんの説明に、東京と違う都市のにおいや港に象徴されることへの違和感といった横浜にまつわるモヤモヤ気分がだいぶ晴れた。
館の内外で昼食の弁当を食べた後、隣接する遺跡公園をガイドボランティアに案内してもらった。久しぶりに夏の熱い日差しが戻り、約2千年前の弥生時代のムラの跡とここに住んでいた人々の墓地の緑がまぶしい。
深い溝や土塁、木の柵で守られた環濠(かんごう)集落の跡は大塚遺跡、四方を溝で囲んだ方形周溝墓がまとまってあるのが歳勝土遺跡だ。港北ニュータウンを造るときに同時に見つかり、3分の1が残ったという。国の史跡に指定されている。