東久留米・柳窪の大型古民家を巡る

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 NPO法人東久留米の水と景観を守る会など主催の柳窪見学会が425日、行われた=写真はかやぶき屋根の村野家=。
 
 柳窪地区は、豊かな湧水で知られる黒目川の源流域にあり、江戸時代末期から明治初期に建てられた伝統的な民家や白壁の土蔵などがいくつも現存。屋敷林などの緑に包まれた武蔵野の集落を今にとどめている。近年、新青梅街道につながる遊歩道もでき、郷土史ウオーキングの愛好者に注目されている。
 
 「守る会」は柳窪天神社の春・秋の例大祭に合わせて年2回見学会を行っており、ふだんは非公開の民家5軒の庭先まで入らせてもらえる。この日は午前と午後で計60人の募集に対し、応募は市内外からこれまでにない100人を超える人気ぶりだった。
 
 参加者たちはバス停柳窪1丁目に集合し、まず近くの小麦畑に立ち寄った。小麦は、戦時中に栽培が途絶えたが、ほぼ半世紀後に復活して増産に向かっている地場特産の「柳久保小麦」。穂を出し始め、特徴である高い背丈が春風にそよいでいた。守る会の人は「生育は順調」と話した。
 
 最初に訪れた「野崎家」の母屋は明治11(1878)年の建築。当主は、今年95歳になるとは思えないほど元気な声を張り上げ、屋敷林の説明をしてくれた。「防風と建物の補修材が目的。今でいう自主防衛だな」
 
ここを含めて多くは屋根がかやぶきから瓦か銅板ぶきに変わったが、風格ある家構えと手入れの行き届いた広い庭は見る者を落ち着かせる。
 
西隣の「奥住家」では、今はガレージに使われているカイコ小屋などを見せてもらってから、黒目川沿いの遊歩道「さいかちの道」を上流へ。源流部とあって川幅は小川ほどしかなく、水は枯れ川底がむき出し。
 
天神橋を渡り、「村野家」を3軒巡った。野崎家も奥住家も柳窪集落を開発したグループで、みな分家を重ねたため、屋号で呼び合っているという。
 
最後に訪れた村野家の屋号は「天神前」。約180年前の建築で、平成23年、母屋や薬医門、蔵などの建造物が国の有形文化財に登録された。総称して「顧想園」と名付けられ、春と秋を中心に園内が公開される。
 
市内唯一のかやぶき屋根で、毎年7分の1ずつふきかえられる。庭には、栽培が非常に難しいとされるクマガイソウの群落があり、ちょうど見ごろだった。園主は「よほど環境がよいのか自然に増えます」と言った。
 
ここは旧田無(西東京市)とも縁が深い。国の文化財になっている「離れ」は名主だった下田家からの移築。離れの床柱に残る刃物の跡は、幕末の大きな農民一揆武州世直し一揆」に襲われかけた時のもので、これを追い返したのが田無の農兵隊だった。欄間の彫刻は田無神社本殿と同じ島村俊表の作。また村野家の3代目は下田家から妻を迎えたという。(下の写真は左から奥住家、クマガイソウ)
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