玉川上水、文学の視点から考える 市民団体がフォーラム

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 多摩川の水を大都市・江戸に供給した土木遺産で、ウオーキングのコースとしても親しまれている玉川上水を文学の視点から考えるフォーラム「文人を魅了した『玉川上水と文学』」が614日、西東京市民会館で開かれた。
 
 小金井雑学大学と東京雑学大学の二つのNPO法人が実行委員会をつくって主催し、約150人が参加した。玉川上水の歴史上の意義や謎に重点を置いた前年の「多摩と玉川上水」の続編。日本近代文学研究者の大和田茂氏、武蔵野大教授の土屋忍氏、文化功労者で作家の黒井千次氏がそれぞれ講演した後、鼎談(ていだん)=写真=があった。
 
 大和田氏は「上水文学散歩と小説『玉川兄弟』について」のテーマで、玉川上水沿いの文学碑の数が意外に少ないと指摘。自ら撮影した碑の写真を映しながら、国木田独歩太宰治の女性関係にまつわるエピソードなどを紹介し、「(恋愛時代にデートした)独歩にとっては歓喜、(入水自殺した)太宰には絶望の玉川上水だった」と話した。
 
 西東京市(旧田無市向台町1丁目)に住んでいたことがある杉本苑子の長編小説「玉川兄弟」については「命の水・玉川上水への賛美。そこに庶民の姿も描いた」と述べた。
 
 「近代文学にとっての玉川上水」と題して話した土屋氏によると、「多摩川」の名が出る作品はあっても「玉川上水」と表記されたり舞台になったりする作品は少なく、国木田独歩は小説「武蔵野」で玉川上水を「小金井の流れ」と書いた。太宰治の「乞食(こじき)学生」の中では、玉川上水を「人喰(く)い川」と呼ぶ一方で、太宰作品としては珍しく川辺の風景を美しく描写したくだりがあることを紹介。また山田詠美の作品にある「武蔵野市の水の良さ」を引用し、多摩地方の一部自治体が自前の地下水を全量または一部混入して水道水としている状況にも言及した。
 
 黒井氏は「玉川上水の感覚的記憶」を演題に話した。子どもの頃、小金井にいる祖父母の家に遊びに行ったときの玉川上水は「赤茶色をして縄をなうようにドゥドゥと早く流れ、底が深そうで怖かった」。その後、淀橋浄水場の廃止に伴って導水が終わり、川底は「無残に干上がり」、やがて東京都の清流復活事業で「といの底をチョロチョロ流れる」という移り変わりを見てきた。
 
 そのころから武蔵野に材を取った短編小説を発表するが、「時代の中を流れ、姿を変えながら流れる水が、短編を書いてみたいという衝動を生んだのではないか」と振り返った。
 
 鼎談は土屋氏が進行役を務める形で行われ、黒井氏が「海洋小説とか山岳小説と呼ばれるジャンルに比べると、河川小説ともいうべき作品は少ないのではないか」と投げかけた疑問や「おいしい水とは」などをめぐるやりとりがあった。