益子を代表する陶芸家の濱田(1894―1978)が、まだ無名だった20代後半に英国でつくったことが確認できる数少ない陶器をはじめ、一緒に渡英した盟友バーナード・リーチの作陶の流れをくんだり、戦後米国の大学での公開制作や海外の展覧会出品作などを通して濱田の影響を受けたりした陶芸家の作品約60点が展示されている。大半は同館のコレクションという。
案内してくれた学芸員は、濱田が作家として初めての個展を英国で開いて成功した背景の一つには、宋の時代を中心とする中国陶器ブームという時代状況もあったのではないかとエピソードを紹介。「欧米の器は絵画や彫刻に呼応しているものが多い。日本人の感覚との違い、器の持つ雰囲気の違いを感じ取って」と話した。
益子陶芸美術館の見学に先がけて濱田庄司記念益子参考館近くにある工房と登り窯を見せてもらい、陶芸美術館でも敷地内に移築復元した旧濱田邸と登り窯を見た。
筑波海軍航空隊は終戦の前年に、構想としてはあった体当たり攻撃(特攻)の実行を決めた地であり、特攻隊員の訓練地でもあった。戦後、司令部庁舎は学校や病院として使われ、やがて廃墟となった。
映画「永遠の0(ゼロ)」の撮影でロケに使われたことで、2013年12月から市民が実行委員会を作り、司令部庁舎を記念館として運営している。現在見学できる旧司令部庁舎は国内でここだけといい、来場者数は今年4月に10万人を超えた。
入館して、まず隊の歴史や神風特攻隊のドキュメンタリー映像を見た。特攻を決めた司令室と不帰の若者たちの遺品や写真を収めた展示室では説明員の話を聞いた。遺書をしたためた白いマフラー、風防ガラスのかけらを細工し文通相手の女性に贈ったペンダント…。戦争が残したせつない物語が語られた。