実行委は毎年11月、柳沢公民館で写真展を開いているが、戦後70年の今年、初めてフィールドワークを企画した。
主催者側と一般参加者合わせて9人が如意輪寺(泉町2丁目)に集合。山門の南側の参道に小さな堂があり、戦没者を慰霊する地蔵尊が立つ。戦地で死亡211人、空襲の爆弾による死亡27人の名前が堂内の額と堂の外の石碑に残されており、地元の講の人たちが1963年に建立した。
碑面には「各国戦没者之霊」の文字が読み取れ、「広く全世界の戦没者の鎮魂を願う気持ちが表れています」と主催者の人。一方で、堂から取り出された「参拝者ノート」は色あせ、「記入する人がどんどん少なくなっています」。
南へ向かう。宝樹院の六地蔵は1945年4月、米軍の空爆で吹き飛ばされ、傷跡や修復のつなぎ跡のないものは1体もない。頭部が見つからず、新しく作ったものも。この空襲で保谷町(当時)の住民百数十人が犠牲になった。
貸家に住む家族に防空壕へ避難するよう声をかけた大家が、自宅の防空壕に帰った直後、居合わせた妻ら4人と一緒に直撃弾を受けて死亡したのだ。爆死者供養地蔵菩薩立像と名づけられた像と供養塔は、無事だった借家住まいの人が1980年に建立した。
ここから近くの尉殿(じょうどの)神社に立ち寄り、如意輪寺へ戻るまで約1時間40分のまち歩き。参加者からは「高齢者には適度なコース設定」「子どもたちにも体験させたい」との声が出ていた。
実行委は今回のアンケート結果を参考に、「来年も別のコースで実施したい」と話した。