戦後70年 被災した地蔵をめぐる

イメージ 1
平和のための戦争展実行委員会西東京主催の「戦争で傷ついたお地蔵さんめぐり」が912日、西東京市内で行われた。(写真は宝樹院の六地蔵
 
実行委は毎年11月、柳沢公民館で写真展を開いているが、戦後70年の今年、初めてフィールドワークを企画した。
 
主催者側と一般参加者合わせて9人が如意輪寺(泉町2丁目)に集合。山門の南側の参道に小さな堂があり、戦没者を慰霊する地蔵尊が立つ。戦地で死亡211人、空襲の爆弾による死亡27人の名前が堂内の額と堂の外の石碑に残されており、地元の講の人たちが1963年に建立した。
 
碑面には「各国戦没者之霊」の文字が読み取れ、「広く全世界の戦没者の鎮魂を願う気持ちが表れています」と主催者の人。一方で、堂から取り出された「参拝者ノート」は色あせ、「記入する人がどんどん少なくなっています」。
 
南へ向かう。宝樹院の六地蔵19454月、米軍の空爆で吹き飛ばされ、傷跡や修復のつなぎ跡のないものは1体もない。頭部が見つからず、新しく作ったものも。この空襲で保谷町(当時)の住民百数十人が犠牲になった。
 
さらに南へ向かうと、市の文化財青面金剛庚申像(しょうめんこんごうこうしんぞう)。6本の腕のうち3本を空爆で失った。
 
榎(え)の木通りから横山道に出て、宝晃院の墓地(住吉町1丁目)へ。入り口左の塀沿いの奥にある小さな地蔵菩薩立像にまつわる悲劇が語られた。
 
貸家に住む家族に防空壕へ避難するよう声をかけた大家が、自宅の防空壕に帰った直後、居合わせた妻ら4人と一緒に直撃弾を受けて死亡したのだ。爆死者供養地蔵菩薩立像と名づけられた像と供養塔は、無事だった借家住まいの人が1980年に建立した。
 
ここから近くの尉殿(じょうどの)神社に立ち寄り、如意輪寺へ戻るまで約1時間40分のまち歩き。参加者からは「高齢者には適度なコース設定」「子どもたちにも体験させたい」との声が出ていた。
 

 実行委は今回のアンケート結果を参考に、「来年も別のコースで実施したい」と話した