国史跡の下野谷遺跡 整備活用へ知恵探るシンポジウム

イメージ 1
縄文時代中期(約5千~4千年前)の下野谷遺跡(西東京市東伏見6丁目)が国史跡に指定されたことを記念するシンポジウムが1213日、保谷こもれびホールであった。
 
縄文時代の大集落遺跡を探る・護(まも)る・活(い)かす」をテーマに市と市教委が主催し、約450人が参加した。
 
菊池徹夫・早稲田大名誉教授が縄文文化の人類史的な価値―世界遺産登録をめざして」と題して記念講演。自身が北海道と北東北3県で縄文遺跡群を世界遺産に登録しようと活動していることについて「縄文時代は日本文化の土台であり、人類史の再構成に欠かせない。全日本の代表として縄文文化を世界の人に知ってもらおうと考えている」と強調した。
 
基調講演は下野谷遺跡を担当する市教委文化財係の亀田直美学芸員三内丸山遺跡の岩田安之・青森県教育庁文化財保護主査▽御所野(ごしょの)遺跡の高田和徳・岩手県一戸町教委御所野縄文博物館長▽馬高・三十稲場(うまたか・さんじゅういなば)遺跡の小熊博史・新潟県長岡市教委科学博物館長の4氏が行った。
 
下野谷遺跡は関東で有数の規模を誇る縄文中期の集落遺跡で、都心近くの市街地に良好な状態で保存されている。三内丸山は、移動生活とされていた縄文観を「定住」に一変させた。御所野は縄文時代の景観を再現しており、竪穴建物が土屋根だったことが全国で初めて確認された。馬高遺跡は火焔(かえん)土器の出土で知られる。
 
このうち三内丸山だけが特別史跡で、県が管理する。他は史跡で、市または町が管理団体になっている。
 
基調講演では各遺跡の特徴、来訪者への解説や学習などに使うガイダンス施設のあらまし、管理者側の普及啓発活動、地域の人たちのボランティア活動などが報告された。
 
シンポジウムは、下野谷遺跡の担当でもあった水ノ江和同(かずとも)文化庁文化財調査官が司会、基調講演の4氏がパネリストとなって行われ、来年度から2年かけて整備活用計画を作る下野谷遺跡の参考になりそうなことを中心に意見が交わされた。
 
下野谷遺跡が住宅街の中にあることについては「他の遺跡に例がない」「人が集まりやすい」という長所を生かすべきだとの指摘があった。遺跡の現場と出土品を展示する郷土資料室が遠く離れている現状に対し、バスで結び車中で映像を流すという案が出たが、ガイダンス施設で出土品を見てもらうことの重要性では一致していた。
 
このほか「イベント開催など外へ訴える活動を継続する」「きれいな石神井川の環境を生かす」「竪穴住居をいくつか復元し、縄文のムラの雰囲気をつくる」などの提案があった。
 
水ノ江氏は下野谷遺跡の記念切手シートを発行したことと、発掘調査やイベントで早稲田大と連携していることを高く評価した。
 
自らの開会あいさつから最後までいた丸山浩一市長は水ノ江氏に感想を求められ、「来年から計画を作るうえで大変参考になった。国の指定がゴールではなく、(整備や活用の)始まりだという言葉を肝に銘じたい」と述べた。(下の写真はパネル討論司会の水ノ江氏、出土品などの展示会)
イメージ 2イメージ 3