島根、広島 世界遺産を巡る旅 (中)松江城~出雲大社~石見銀山

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2日目> 八重垣神社、松江城出雲大社石見銀山遺跡(写真は銀山の坑道入り口付近)
 
 玉造温泉の旅館の朝食は午前645分から。バイキングで腹ごしらえをして8時出発。旅館の玄関脇のかめで、背びれのない金魚が3匹泳いでいた。松江藩が作りだし、島根県の天然記念物に指定されている「いづもナンキン」。温泉街の風情を見たり、美肌効果があるという湯薬師広場のたらい湯を訪ねたりする時間はなかった。
 
 パワースポットの一つ、八重垣神社(島根県松江市)には団体一番乗り。鏡の池では、浮かべた紙に100円玉か10円玉を乗せ、沈み具合で男女の縁を占う人が並んだ。二つの幹が合体する夫婦椿も何本かあった。
 
 城では最も新しく昨年7月に国宝に指定(厳密には再指定)された松江城島根県松江市)。午前9時ごろ着き、見学時間は1時間。大手木戸門跡から入り、大手門跡から本丸へ。松本城を少し小さくしたような、45階の黒を基調とした天守だ。2階で「石落とし」を見ていると、別の団体のガイドさんが「実際にはふん尿を落としたようです」と説明した。築城時期を裏付ける祈祷(きとう)札の模擬札が打ちつけられている地階を見落とし、悔いを残した。初めての見学に1時間の枠は厳しい。
 
 バスは予定通りに午前10時、松江城を出発。宍道湖に浮かんで見える嫁ヶ島の伝説や夕焼けの美しさを聞き、約1時間で出雲大社島根県出雲市)に着いた。
 
 ここのガイドさんは昼食をとる観光センターいずものベテラン男性。神楽殿前の国旗掲揚塔からスタートし、掲揚塔の高さ、旗の大きさが国内最大級であることを話した。下が杉で上はセンダンに木、松やにをためた樹齢400年の木など、神社の本筋からそれた見どころも案内してくれた。
 
 二礼四拍手一礼で参拝した後は十九社(旧暦10月に全国から集まる神々の宿所)の外から本殿を眺めた。神楽殿の大しめ縄の、下を向いた切り口が金網で覆われ、それがさい銭を差し込まれないためのものとは知らなかった。真下から円形の切り口を見ると、それでも金網とわらの間に多くの貨幣が挟まっていた。
 
 出雲大社は石(一の鳥居)から木、鉄、銅まで四つの鳥居をくぐるのが心得とされているが、今回くぐったのは銅鳥居だけ。参道脇に植えられた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の苗木を見ることもできなかった。
 
 午後1時前、バスはいよいよ最初の世界遺産石見銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)へ向かう。1時間ほどで石見銀山公園の観光バス乗降所に着いた。西へ2.3キロ、約45分歩けば目的地の龍源寺間歩(まぶ)に達する銀山地区、東は今回の旅行では行かない町並み地区だ。町並み地区は武家や商家、社寺などが並ぶ0.8キロで、徒歩約20分という。
 
 銀山地区の案内には、石見銀山ガイドの会の女性が付いた。緩い坂道を上り、番所跡、精錬所跡などを過ぎると、道路沿いに立入禁止の間歩(坑道)の出入り口が次々と現れる。石見銀山は戦国時代の16世紀から大正時代まで約400年間にわたって採掘された。世界の銀の産出量の3分の1を占めた時期があり、600カ所以上の間歩が確認されているという。
 
 龍源寺間歩は代官所が経営していた大坑道の一つ。本来の長さの約4分の1150メートル余りが公開されている。入り口付近には貴金属を好むというシダが生え、坑内の温度計は12度を指していた。岩壁の所々に人間が入れるのだろうかと思える小さな坑道が照らし出されていた。鉱脈に沿って掘り進んだ跡だ。
 
 体をかがめて歩いた坑道は、左折して新坑道に入ると普通に歩けるようになる。出口近くには坑道の安全対策や採掘作業などを描いた絵図が電照板で展示されていた。
 
 帰り道でガイドさんが大きな丁銀を見せてくれた。毛利元就正親町(おおぎまち)天皇1100枚を献上した大丁銀の模造品でずしりと重かった。県は本物を2600万円で購入し、県立古代出雲歴史博物館(出雲市)で収蔵しているという。
 
 午後4時、銀山を後にして宿泊地の広島へ。オバマ米大統領が帰った直後の広島市内はバスガイドさんが驚くほど車が少なく、広島駅に近いホテルニューヒロデン5時半ごろ着いた。この日、歩数計13千歩を超えていた。(下の写真は左から松江城、大丁銀の模造品)
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