「多摩の街道」フォーラム 3氏が講演

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 「多摩の街道―『江戸』から『東京』へつづく道 400年」と題するフォーラムが6月11日、西東京市民会館で開かれ、約120人が参加した=写真は会場からの質問に答える、左から大石氏、今尾氏、齋藤氏。

 小金井雑学大学と東京雑学大学の両NPO法人が実行委員会をつくって主催。3人の研究者がそれぞれの視点から講演した。

 東京学芸大教授でテレビの大河ドラマなどの時代考証も担当する大石学氏は、「多摩・武蔵野と街道」がテーマ。持説の「江戸首都論」を軸にして、明治維新を節目とせずに首都機能から江戸と東京を連続して捉えるべきだと強調した。

また、甲州街道や青梅街道、五日市街道のモノや人の行き来を見れば、江戸と武蔵野・多摩地域は首都と首都圏の関係であり、それは多摩地域への大学移転などに見られるように現代まで続いていると指摘。

 日本風俗史学会会員で元青梅市文化財保護審議会長の齋藤愼一氏は、「甲州道中・青梅街道の風俗」と題し、庶民が気楽に旅をできるようになったのは道路や宿が整備された江戸時代からと説明。御嶽山(武蔵御岳山、青梅市)を中心に置き、江戸や日光山、駿府甲府などから街道の行程を描いた図、青梅入り口の旅宿で休む旅人や台所で働く女性、荷を運ぶ馬など描いた道中案内の挿絵を 解説した。

 日本地図センター客員研究員の今尾恵介氏は、「地形図でたどる多摩の街道今昔」と題し、明治期以降の地形図を見比べながら、戦後は道がルートも幅も大きく変貌したことを紹介した。あざ(字)名は昔からのものとは限らず、明治初期の地租改正で付けられたものがあるという。

 講演の後、会場の参加者との質疑応答が行われた。