戦時の「東久留米駅構外線」跡地を歩く

イメージ 1
 戦時中、田無の軍需工場へエンジン鋳造のための砂などを運んだ鉄道「東久留米駅構外線」(約3キロ)の跡地を訪ねる催しが9月12日にあった=写真は線路が敷設された跡地の築堤。

 西東京市などの市民有志でつくる「西東京平和のための戦争展・西東京市実行委員会」が年1回行っている戦跡めぐりツアーの3回目。10人が参加した。

 西武池袋線東久留米駅西口を出発。現在のホームのひばりが丘寄りの端から線路が分岐していたとみられるが、痕跡は残っていないという。線路は開通しても終戦まで1年しか使われなかった。

 変電所の南の住宅地の間に残る、土手のような築堤が最初の遺跡で、西武鉄道の管理地になっている。参加者たちは築堤に上り、今は見えない線路の先の方向に目をやった
 落合川を渡り、緩やかな坂を上って住宅街に入ると、「たての緑地」が始まる。東久留米市が鉄道の軌道跡に造り、南中まで約1キロ、遊歩道が続く。変電所から始まる高圧送電線の真下にあり、鉄塔が目印になる。

 途中で、鉄道敷地の境界を示すくいをいくつも見つけた。草が刈られて現れたものもあり、スタッフが「新発見」と喜ぶ場面も。

 立野川を越えると両側の家が高く見え、台地を掘り込んだことがわかる。

 南中付近からは大きな曲線を描いてひばりが丘団地に入るが、団地内では鉄道の痕跡は見つかっていない。

 マンモス団地の走りであり公団住宅のモデルとなったひばりが丘団地は、もとは戦闘機のエンジン部品をつくる旧中島航空金属田無製造所の敷地。その一部は現在、住友重機械工業田無製造所となっている。

 ツアー終着地の同社正門前で、スタッフは「構内には当時の枕木が残っていると聞いた。しかし見学は許可されなかった」と話した。

 参加者たちは「断片的にしか知らなかったことが一本につながった」「戦争遺跡を保存することの大切さをあらためて痛感した」などと感想を述べ合った。(下の写真は左から、立野川付近の緑道、ツアー終着点の住友重機械正門付近)
イメージ 2イメージ 3