
変電所の南の住宅地の間に残る、土手のような築堤が最初の遺跡で、西武鉄道の管理地になっている。参加者たちは築堤に上り、今は見えない線路の先の方向に目をやった
。
途中で、鉄道敷地の境界を示すくいをいくつも見つけた。草が刈られて現れたものもあり、スタッフが「新発見」と喜ぶ場面も。
立野川を越えると両側の家が高く見え、台地を掘り込んだことがわかる。
南中付近からは大きな曲線を描いてひばりが丘団地に入るが、団地内では鉄道の痕跡は見つかっていない。
ツアー終着地の同社正門前で、スタッフは「構内には当時の枕木が残っていると聞いた。しかし見学は許可されなかった」と話した。
参加者たちは「断片的にしか知らなかったことが一本につながった」「戦争遺跡を保存することの大切さをあらためて痛感した」などと感想を述べ合った。(下の写真は左から、立野川付近の緑道、ツアー終着点の住友重機械正門付近)

