「田無のルーツは谷戸」 公民館が講座

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 西東京市谷戸公民館主催の「私たちの地域と歴史を学ぶ講座」の1回目が11月8日、同公民館で開かれた。定員20人で募集したが、申し込みが多く、32人が受講した。

 講座は全2回。この日は郷土史研究家で田無地方史研究会代表の近辻喜一さん=写真=が「田無の水」と題して話した。

 近辻さんは、戦前学者による調査で、地下水が盛り上がる「地下水堆」が谷戸地区で発見されたことと、戦後はこの地域から見つかった石造りの卒塔婆である「板碑(いたび)」が鎌倉時代後期のものであったことから、このころには水の豊かな谷戸に集落があったと考えられるとした。

 江戸時代初めに青梅街道が開かれると、石灰運搬のために谷戸の住民は街道筋に移住させられたが、水は谷戸までくみに行かなければならなかった。飲み水に不自由しなくなったのは、玉川上水完成の50年後に田無用水が引かれてから。移住からだと実に100年が経っていた。

 江戸時代の中頃、田無村名主の半兵衛が田無用水に水車を設置して小麦の製粉などに使い、明治~大正期には村内に水車が7基建設された。

 田無用水は明治に赤痢による大勢の死者を出し、大正末期からは井戸が普及。昭和40年代の町営水道から都営に移管され、田無用水は地下水路になって「やすらぎのこみち」と「ふれあいのこみち」に変わった。

 近辻さんは、田無市史で田無用水の開通が元禄9年(1696年)とされてきたことに疑問を呈し、道奉行4人の任期を検証した結果、「開通は元禄1115年」との見解を述べ、参加者の関心を集めた。研究の詳細は最近の多摩地域史研究会会報(第127号)に掲載されている。(下の写真は受講の様子)
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