縄文人の食生活 土器のくぼみから探る 下野谷遺跡シンポジウム

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 縄文時代中期(5千~4千年前)の集落が眠る西東京市東伏見の下野谷(したのや)遺跡の国史跡指定を記念するシンポジウム(市、市教委主催)が2月
10日、保谷こもれびホールで開かれた=写真はパネル討論の各氏。

 3年目の今回のテーマは「えっ! マメとエゴマでヘルシーライフ⁉」。出土した土器に残るくぼみの研究から縄文人の食生活や植物利用を探るのがねらいだ。市内外から100人余りが参加した。

 記念講演は明治大学黒耀石(こくようせき)研究センターの能城修一氏が「新たにわかった縄文時代中期の植物利用」と題して行った。能城氏によると、縄文中期は海水準の低下に伴い堆積物が削られて残らなくなり、植物利用の様子がほとんど見えなかった。

 しかし、ここ数年の花粉分析などの研究により、関東地方の一部でクリ林が管理・利用されていたほか、ウルシが植えられ樹液が利用されていたことがわかってきたという。

 下野谷遺跡については、台地の集落周辺にクリ林、ウルシ林、まき材などを取る二次林を描いた想像図を映し出し、石神井川を隔てて広がる天然林には島根県の遺跡にある太い柱のような巨木があったかもしれないと話した。

 このあと2氏が基調講演した。主題は東京都埋蔵文化財センターの大網信良(しんりょう)氏が「縄文中期の“したのやムラ”とその周辺地域」、明治大学黒耀石研究センターの佐々木由香氏が「土器のくぼみからわかった縄文人の食料事情」。ともに、種や昆虫が粘土に入ったまま焼かれ土器にくぼみとして残った「圧痕」の研究成果などを紹介した。

 大網氏によると、縄文中期の土器を中心にマメやエゴマなど硬い殻に覆われた実や種の圧痕が多く発見されている。中部高地(山梨県、長野県など)はマメ科種子への依存度が高く、関東地方内陸部(下野谷遺跡、多摩ニュータウン遺跡群)はマメ、エゴマなど複数の種実に分散している。

 また佐々木氏は、「この10年の研究で、縄文中期に人がダイズやアズキの種子を大型化したことがわかってきた」と述べた。圧痕のあるミズキはどう利用されたのか未解明という。

 地元からは市教委の亀田直美氏と下野谷圧痕倶楽部の高濱劭(つとむ)氏が活動や課題を報告。八ヶ岳jomon楽会などで活動する前長野県考古学会長の会田進氏は「遺跡・遺物とどう遊ぶか」の実践例を報告し、会場の参加者全員に「ドングリクッキー」を配った。

 最後に亀田氏をコーディネーターに基調講演と報告の4氏によるパネル討論があり、「和食の起源とも言える縄文食を現代につなげたい」」「圧痕調査は専門的知識がなくてもよい。継続して携わってもらえば目は肥える」「全国共通の縄文文化をもっと世界に発信しよう」などの夢や提言が語られた。(下の写真は記念講演で話す能城修一氏、下野谷遺跡の食生活関連の遺物展示)
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