主催した仏教文化研究所の所長で武蔵野大教授のケネス田中氏は3月で定年となる。長い間ためらってきたという赤いネクタイを着け、「定年だから何を言われても大乗仏教(大丈夫)」とシャレを飛ばし、会場を笑わせた。
田中氏は、宗派の開祖を覚えるのに、長屋の母と息子、そこを訪れる僧による小話を作り、「食うかい(空海)」「もういっぺん(一遍)」などを織り込んだ例を披露したほか、仏教に関わる国内外の様々なシャレや笑い話を紹介しながら、ユーモアは、仏教に親しみをもってもらい、学ぶことを手助けする役割をもっていると話した。
大学時代に落語研究会にいた多田氏は短い落語から入り、話を聞いてもらうための仏教ユーモアの原点は「百喩経(ひゃくゆきょう)」という経典にあることを解説。
この経典は492年に漢文に訳されたものだけが現存し、例え話をもとに教えを説く98の話がまとめられている。話の一つが、鏡を知らない夫婦が鏡に映る姿を他人と思ってしまう落語「松山鏡」の元ネタになったという。
釈氏は「笑い」をいろいろな角度から考察。東アジアの仏教は法要を重視し、法要の一方を形作る説法からさらに分かれて話芸が生まれたと述べた。
また、説教を生命線とする浄土真宗は、それが「五段説法」という独特の構成を持ち、退屈しそうな中盤で「比喩」と物語性の高い「因縁」を経て最後に仏法に落とし込む展開になっていると話した。
3氏によるパネル討論では「ユーモアはこだわりから転じ、新しい視点を提供してくれる」(田中氏)、「立川談志が『落語は人間を常識から解放するものだ』という趣旨を自著で書いている。仏教と同じだと思った」(多田氏)、「宗教を笑いものにする点で日本の伝統教団はしたたかだ。仏教を通して日本文化を見るのも面白い」(釈氏)などの発言があった。(下の写真は左から田中氏、多田氏、釈氏)