太平洋戦争の痕跡を西東京市の柳沢、東伏見地区に見て回るフィールドワークが3月24日、芝久保公民館の主催であった。募集定員20人を上回る27人が参加した=写真は地下壕の出口跡と思われる崖のくぼみを見る参加者。
集合した柳沢公民館で、展示中の250キロ爆弾の残骸などについて講師の牛田守彦さんが解説。牛田さんは中高校教諭で「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」副代表を務め、この日の立ち寄り先の大部分を説明した。
最初に訪れた第二しじゅうから公園では「西東京に落とされた模擬原爆の記録を残す会」の渡部國夫さんが、当時は畑だったここに長崎型原子爆弾と同じ形の爆弾が投下され3人が死亡したことなどを、米軍撮影の資料写真を示しながら話した。
公園には戦争に関する表示がなく、「記録を伝える何かを残してほしい」と渡部さん。
青梅街道の東伏見坂上付近では、中島試行機社長の片腕で武蔵野製作所の初代所長だった佐久間一郎邸跡(元NTT寮、現在は駐車場)と保谷東伏見郵便局隣の私有地の庭にある被災した地蔵像を見て、縄文時代の大集落が地下に眠る下野谷(したのや)遺跡公園へ。
遺跡公園とその東側の地域には、青梅街道の南から石神井川に向かう地下壕(ごう)が7~8本あったとされる。長いものは400~500メートル。戦後、埋め戻されたが、陥没現象が起きており、完全に埋められていない可能性があるという。
この日も遺跡公園東側はロープで立ち入り規制されており、陥没とみられる箇所がポールで囲まれていた。土地の資産価値に影響することから、地下壕に関する情報は明らかにされにくいという。
芝久保公民館の関係者によると、公民館としての戦跡めぐりは長い間、中断していた。今回、参加希望者が多かったことから、参加者アンケートを分析したうえで毎年実施を検討したいという。(下の写真は左から原爆茂木爆弾が落ちた第二しじゅうから公園、地下壕も埋まる下野谷遺跡公園)