東久留米 緑の中の文化財・村野家住宅を見学

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 西東京市郷土文化会の5月例会が1日、東久留米市の黒目川上流と村野家住宅(顧想園)=写真=であった。

 7月並みの暑さが予想される晴天のもと、31人が参加。午前9時半すぎに西武新宿線小平駅北口を出発し、黒目川の源流とされる「さいかち窪(くぼ)」に向かう。

さいかち窪は駅から歩いて20分ほど。都立小平霊園の雑木林の中にあり、案内板はない。存在を知っていれば、柵で囲まれていてそれとわかる。めったに水をためることがなく、この日も枯れていた。

トゲを出している幹に目を凝らしてサイカチの木を探したが、通路沿いには見つけられなかった。新青梅街道を横断し、東久留米市が黒目川上流に整備した遊歩道「さいかちの道」に入る。

 黒目川は落合川とともに湧水が多いことで知られ、柳窪天神社の前の蛇行地点は「東京の名湧水57選」の一つ。しかし、ここを含め上流部はどこも乾いた川底を見せていた。

 村野家住宅は天神社の隣にある。江戸時代後期の天保年間に建てられた母屋などの主屋や明治後期の離れのほか、薬医門、土蔵、穀蔵など7件の文化財からなる国登録有形文化財だ。91本もの保存木を含む屋敷林の緑に囲まれる。

 現在の当主は6代目。「顧想園(こそうえん)」は敷地内を総称して5代目が名付けた。

 ふだんは公開されておらず、春と秋に日にちを限って特別見学会が行われる。郷土文化会はこれとは別に3月中旬、この日の団体見学を申し込んでいた。庭からの見学の場合、参加費は維持協力費や資料・茶菓代として1人500円だが、部屋に上がって説明を受けられる1千円を選んだ。

 ガイドは家人と顧想園サポートクラブ会員の計3人。三つのグループに分かれて約1時間20分、じっくりと見学。1866(慶応2)年、武州世直し一揆の農民が名主の村野家に押し寄せ、農具を振るったときの傷跡が残る奥座敷の床柱やかもい、田無神社本殿を手がけた彫り物大工・嶋村俊表(しゅんぴょう)作の欄間彫刻、近江八景を描いたすりガラスの障子などを目の前に見ることができた。

 庭には山野草も多い。例年だと袋状の薄紫色の花が咲くクマガイソウはすべて褐色の花殻に変わっていたが、キンランは花盛りの株があり、花好きの女性たちを喜ばせた。

 園内の休憩所で弁当を広げると、復活した地元の品種・柳久保小麦を皮に使ったまんじゅうが出され、土産に買う人も。

 昼食後は薬医門の前で記念写真を撮り、多くの人がさいかちの道に続く「しんやま親水広場コース」を約20分歩き、新所沢街道に出た所の西団地入り口で解散した。(下の写真は左から、顧想園の庭に咲くキンラン、水のない名湧水の風景)
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