八丈島(1)旅の入り口は植物公園=5月14日

イメージ 1  朝の天気予報は、八丈島は午前中、雨と風が強く、昼から晴れと告げていた。午後零時20分の出発を待つ羽田空港の待合室でも「強風で羽田に戻る可能性がある」とのアナウンスが流れ、心配そうに顔を見合わせる姿も=写真は空港に近い八丈植物公園のメーン入り口。



定刻通り出発して間もなく、「最新の情報では戻る心配はありません」との放送に機内の空気が和らいだ。ややかすんで伊豆諸島が並んで見えた。二つの山がある八丈島は、八丈富士の方に傘雲がかかっていた。


空港には知人が車で迎えに来てくれていた。底土(そこど)港に近いホテルにチェックインしてから、人間魚雷「回天」の基地だったという壕(ごう)跡を川越しに見て、八丈植物公園へ向かった。知人はメーンエントランスの駐車場に車を止めてビジターセンターまで案内してくれた。


植物公園は東京都が運営し、入場は無料。ビジターセンターには午後2時に入ったが、見学者は少なく、島の自然を紹介する映像を1人で見た。


ビデオは、島は快晴の日が年間9日しかなく、雨と風の日が多いことを伝える。なるほど、知人は今日飛行機が飛ぶかヤキモキしたと言っていたし、ここの天気予報は「晴れ」だとしても当てにならないと気象庁への不信感さえ口にしていた。後日バイクを借りることになる業者も「予約はしないで当日の空模様を見てから電話をください」と忠告してくれた。こうなると、八丈観光の日程は運を天に任せるほかにないということか。


降水量の多さは発光キノコの種類の多さにもなっていて、暗室の中ではヤコウダケが光を放っていた。


ビジターセンターの隣に約100種の熱帯・亜熱帯植物を栽培展示する温室がある。果実のつき方によってはミッキーマウスの顔に見えるミッキーマウスノキ、マンゴーの実の赤ちゃん、花盛りのベニヒモノキなどにカメラを向けた。


公園ガイドマップを見ながら1時間と2時間のおすすめコースを適当に組み合わせて歩いた。ヤシやシダ、キダチアロエやガジュマルに南国を感じながら、キョンが飼育される動物舎前のベンチで一休み。

八丈島キョン」のフレーズで笑ったギャグ漫画を読んだのはいつのことだっただろう、なんてぼんやりと思う。キョンが小型のシカとは知っていたが、雄に牙があることは知らなかった。


里山展望台で初めて見学者と出会った。遠くに八丈小島がシルエットで見えた。2時間余りを園内で過ごしたことになる。


メーンエントランスから出て、太陽の位置をたよりにホテルの方向へ歩いた。観光協会と旧八丈町役場まで来て体力が尽きたことを感じ、案内板で見つけた「島酒之碑」に寄った後はタクシーで帰るつもりだった。


午後5時を少し過ぎたころ、携帯電話が鳴り、知人が「仕事が終わったので車で迎えにいく」と言ってくれた。それまで碑の周りの護神山公園を歩き回り、長い階段も上り詰めた。かつて連隊司令部が置かれ、銃眼とみられるトーチカの跡が残るというブログ情報を確かめたかったためだ。しかし、時間不足もあり、それらしいものは見つけられなかった。


ホテルに帰っても外はまだ明るく、夕食を一緒にとるまでの時間もあり、朝見た、人間魚雷が待機していたという壕跡へ向かった。


壕が川の護岸の上に開いているのは、戦後、港か河川を改修したためだろうか。内部は狭く、数メートルしか進めない。


教育委員会が入り口に立てた説明板によると、本土決戦に備えた特攻兵器の人間魚雷「回天」は2カ所の格納壕に2基ずつあったが、発進することなく終戦。爆薬の詰まった頭部を海中に捨て、胴体は格納壕で爆破された。壕の一つは崩落し、ここだけが残ったという。


後日の旅を含めて、先の大戦の戦跡は意外と多く八丈島に残されているが、それらを観光にどう生かすかの方向はまだ定まっていないように見える。回天基地跡に解説板があること自体が例外で、それも観光客を意識したものではないとの印象を受けた。(下の写真は動物舎のキョン、人間魚雷「回天」基地だった壕の跡)
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