御門訴事件を学ぶ

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明治初期、武蔵野新田(多摩北部・東部)12村の農民が品川県(当時)に増税撤回を求めて集団で直接県庁に訴え、多くの犠牲者を出した「御門訴(ごもんそ)事件」の講演会が930日、西東京市西原総合教育施設であり、約20人が参加した=写真は講師の郡司恒夫さん。

「御門訴事件を伝えてゆく会」が主催し、旧跡巡りと合わせて毎年開いている。今年は柳窪新田(東久留米市)と大沼田新田(小平市)を歩く予定だったが、台風の影響で取りやめとなった。

施設内の市郷土資料室で、門訴に向かう農民の集合場所となった八反歩(はったんぼ)の写真などの関係資料を見学した後、事件のあらまし、「武州世直し一揆」と御門訴事件、用水路とテーマ別に主催の担当者が講演。

その中で、西東京郷土史研究会の郡司恒夫さん=東久留米市在住=は、当時の柳窪新田は戸数が十数戸の小さい村だったため御門訴事件に口を閉ざし、「この地域から史料は全く見つかっていない」と話した。

また、幕末から明治初めにかけて、わずか3年半の間に三つもの大事件が起きたことを指摘。豪農に金や米などを要求し打ちこわしもあった「武州世直し一揆」、新政府と対立する振武(しんぶ)軍とその討伐に向かう新政府軍がともに田無の総持寺を宿としていた「飯能戦争」、そして御門訴事件を挙げ、「人々を計り知れない恐怖に陥れたのに、地域の歴史としてほとんど残されたり語られたりしていない」と残念がった。(下の写真は西東京市郷土資料室で御門訴事件の関係資料を見る参加者)
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