生涯の多くを隅田川東岸で暮らした浮世絵師、葛飾北斎が描いた風景版画の傑作「諸国名橋奇覧」の数々を中心とする第1章と、両国橋など墨田区に架かる橋が北斎の時代から昭和の初めまでどう姿を変えてきたかを錦絵や絵はがき、本などで紹介する第2章の構成。
また常設展示室では、北斎が浮世絵界にデビューしてから本の挿絵、絵手本、錦絵、肉筆画へと進む生涯の画期をレプリカで見られるほか、美人画の着物の柄を替えて遊んだりできるタッチパネル端末もあり、企画展示室と合わせて1時間余りを過ごした。
都慰霊協会の担当者から、この施設が当初は関東大震災で焼死した約5万8千人の遺骨を納めるために1930(昭和5)年に建設され、のちに45年(昭和20)年の東京大空襲などによる犠牲者約10万5千人の遺骨も安置されたことなどを聞いた。慰霊堂は戦災を免れた。
公園内の復興記念館でも、地震後の猛火に追われ荷物とともに大群衆が押し寄せた皇居前広場の大きなパノラマ写真などについて説明があった。(下の写真は都慰霊堂の内部、復興記念館に展示された関東大震災による火事で避難する群衆の写真)