■武家屋敷通りを散策
駅舎でガイドマップを手に入れ、武家屋敷通りを目指す。駅前交番の建物も武家屋敷風。青果店をのぞくと「仏手桃」と書いて「ぶっしゅもも」と読む地元産のモモが出ていた。ドーナツの穴を埋めたような形も珍しい。「甘みが強く、種が小さく食べやすい。国内では流通が少なく高値で取引されている」との説明が付いていたが、1個100円ならばそう高いとは思えない。
「名物 なると餅(もち)」の看板を出した店に入る。店の人に「名物」のいわれを聞くと、昔はアワを使ったもちだった。明治時代に旅の歌舞伎役者が住み着き、歌舞伎や人形浄瑠璃で演じられる「傾城(けいせい)阿波の鳴門」とアワをかけて売り出したとか。店主は3代目。今は2軒が作っているという。
形は渦巻きでなく梅鉢形。あんをもち米のもちで包み、もちの上部を黄色に色づけしてアワの名残をとどめる。ササの葉を敷き、2個165円。5人で分け合い、店内で食べた。おお、みんな甘党だったか。このあとも、武家屋敷通りの茶屋で、そろってソフトクリームをなめる光景を見せることになる。
「曳山(ひきやま)展示中」の看板が目に留まり、横道に入る。歌舞伎の演目に題をとった2体の人形を載せた「やま」が、透明のトタンでつくった大きなガレージの中に飾られていた。近くの店の女性が「(9月7、8、9日の)祭りには17基も出たんだよ」と話しかけてくれた。
郵便局にぶつかるT字路を右に曲がると武家屋敷通り。通りは幅が広い。それでもしだれ桜やモミの大木が日陰をつくっていた。まず小田野家に入り、開け放たれた座敷などを庭からのぞき込む。次の河原田家は工事中で薬医門が閉まっていた。
武家屋敷資料館は通りから少し奥に入った所にあり、観覧券(大人300円)を売る人が隣の食堂から走ってきた。角館のまちはそれほど観光客が少なかった。この先も、駅に戻る途中にも、表通りになんとスクランブル交差点の多いことかと不思議だったが、桜の季節はとんでもなく混雑するのだろう。
次の岩橋家=写真=も主屋の外を一回りできた。岩橋家の先の通りは城の桝形(ますがた)に似て、かぎ形に曲がる。門構えの立派な樺細工伝承館があったが、パスして茶屋に入る。ソフトクリームはゴマ派とマロン派に分かれはしたが、おでんやみそきりたんぽを選ぶ者はいなかった。
いすに腰を下ろして休んでいる間、客を乗せた人力車が店の前で止まった。車夫は女性。別の場所で見た車夫も女性だった。
これまで立ち寄った屋敷は無料だが、茶屋の向かいの青柳家とその先の石黒家は有料。石黒家は現存する6軒の屋敷で格式が一番高く、母屋は最も古い。その母屋に唯一、子孫家族が住んでおり、部屋に入って説明してもらえるのもここだけという。門をくぐり表の外観を見るだけにして、その先の桜の皮細工品を売る店に入り、茶筒など味わいのある美しさを見比べた。
屋敷が途切れたので一本西側の通りに入り南へ戻る。『解体新書』の図版を描いた小田野直武の碑、新潮社記念文学館が併設された仙北市総合情報センターなどに寄ってJR角館駅に着いた。角館滞在は約3時間。特急券を当初の予定より4時間早い下り新幹線に変更して乗車、午後5時すぎに秋田駅に到着した。(下の写真は武家屋敷通り、常設展示の「やま」)