鎌倉時代の文化財を見る 神奈川県立金沢文庫と称名寺

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 西東京市郷土文化会の11月例会は6日、横浜市金沢区にある中世歴史博物館の神奈川県立金沢文庫=写真=と、隣接する国指定史跡の称名寺(しょうみょうじ)境内などで行われた。

 朝から雨の中、32人が参加。西武池袋線ひばりヶ丘駅から横浜への直通電車に乗り、横浜駅京急線に乗り換え、金沢文庫駅下車。雨脚が弱まるのを待ち、徒歩で文庫へ向かった。

 文庫では、「武家の都・鎌倉と金沢文庫」のタイトルでまとめられたビデオのうち「金沢北条氏と金沢文庫」を見た。

 鎌倉幕府の執権・北条氏の分家として金沢北条氏をおこした実時(さねとき)が文庫を創設。最後の四代当主貞将(さだゆき)まで和漢の書籍や仏典、美術工芸品などの収集が受け継がれたこと、蔵書は金沢北条氏の滅亡後も一族の菩提(ぼだい)寺の称名寺に守られ、施設も昭和初期の再建を経て1990(平成2)年に称名寺境内から現在の場所に移り、新装開館したことが主な収蔵品とともに紹介されている。

 同文庫学芸課長の向坂卓也さんがビデオの内容を補足。仏典を書き写した紙の裏を使って称名寺に宛てた手紙が残っており、「会議から戻ってくたびれたから、細かいことは後で」とか、出産前の不安、相手の好き嫌いなど日常の何気ない心情ややりとりがしるされた貴重な資料だと話した。

 展示室では称名寺の大伽藍(がらん)と周囲の地形の立体模型や本尊の弥勒菩薩立像(みろくぼさつりゅうぞう)のレプリカ、金堂壁画の高精細写真を向坂さんの説明付きで見学。

特別展は、「金沢八景」の名前のもとになった中国の名勝「瀟湘(しょうしょう)八景」と、金沢北条氏とゆかりのある中国の西湖(せいこ)にちなむ「西湖憧憬(しょうけい)」が開催中(11日まで)。山水画の屏風や掛け軸などを見て鎌倉・室町時代の東国文化の一端に触れた。

 ロビーに戻り、3班に分かれる。称名寺境内の見学はNPO法人横濱金澤シティガイド協会にガイドを予約してあった。土日以外で20人以上の団体なので、10人前後のグループに1人のガイドが1千円の料金で付く。

 トンネルを抜け、今は広場になっている旧文庫跡、金堂、仁王門で詳しい説明を聞いた。阿字ヶ池に架かる平橋と反り橋は塗り替え工事を行うため通行できなかった。寺の全盛期には37あった建造物が今では五つという。

 雨をしのげる場所で遅い昼食を食べ、仁王門からの金沢シーサイドライン海の公園南口駅まで歩く。無人運転でゴムタイヤで走る車両に乗り、1駅先の野島公園駅で下車、横浜市文化財になっている旧伊藤博文金沢別邸に向かう。

 初代内閣総理大臣伊藤博文が海辺の別荘として明治中期に建て、明治憲法草案の審議する赤坂仮皇居御会食所を移築する計画があった所だ。2009年に復元され、入館は無料。

最も格式が高い客間に集められ、天井が約3メートルと高い、ベルギーから輸入したガラスの戸がここだけにある、欄間は鳳凰(ほうおう)の透かし彫り―という「格式」を確かめ、隣の客間で開かれている博文の業績を写真などでたどるパネル展(25日まで)、漆塗りの便器を備えた客用トイレ、居間棟、台所棟と見て回った。

野島公園駅から終点の金沢八景駅まで1駅乗り、京急線金沢八景駅で解散した。(下の写真は称名寺の仁王門、伊藤博文金沢別邸の客間)
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