講演は宗教学者の正木晃氏が「曼荼羅の神学―葛藤(かっとう)から和解へ―」、青山学院大学教授の津田徹英(てつえい)氏が「『現図』の金胎両部の曼荼羅構造をめぐって」、慶応大学講師の田中公明氏が「インド・チベット仏教の曼荼羅理論―主観・客観二元対立の超克―」と題して話した=写真は上から正木、津田、田中の三氏。
マンダラ塗り絵は、同じパターンの図案なのに色遣いや塗り方が人によって異なる事例を示し、「人間の内面を探る一つの手法になるかもしれない」と述べた。
ところで、曼荼羅は延暦26(806)年に空海が留学先の中国から持ち帰ったものを「現図」と呼ぶ。津田氏は、いずれも現図の胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の構造的な特色を説明したうえで、現存する胎蔵曼荼羅で最古とされる天長6(829)年ごろの「高雄曼荼羅」が現図を正しく継承しているか、検討が必要だと指摘した。
高雄曼荼羅の図像を丁寧に見ると、膝の形や髪形が違ったり、台座に蓮華(れんげ)がなかったりと現図を見た真寂の残した記述と異なる点がいくつもあるという。
一方で、現図と高雄の間には弘仁12(821)年に模写本が制作されたという資料から、真寂が見たのはこの模写本またはそれを転写したものである可能性がある。このように「現図そのものがどうなのかをうやむやにしたまま、日本で胎蔵曼荼羅の研究が進んでいるのは問題」と津田氏。
田中氏は、インドでは9世紀以後、金剛頂経系の密教が発展して後期密教の時代に入り、根本聖典である「秘密集会(しゅえ)タントラ」が普及し、秘密集会曼荼羅の主尊が大日如来から阿閦(あしゅく)如来に代わり、毘盧遮那(びるしゃな)になったと話した。
また、秘密集会曼荼羅は五仏、四仏母(しぶつも)、四忿怒(しふんぬ)の「根本十三尊」とし、限られた尊数で人々が経験する世界のすべてを表現するのに適していたため、他の後期密教聖典も秘密集会の曼荼羅理論を取り入れるようになったという。
このあと会場からの質問に3氏が答える形で理解を深めた。講師陣は「曼荼羅は難しいという学生の声があり、これまで講義するのをタブー視していたが、これを機会に考え直したい」(津田氏)、「参加者が大勢いて驚いた。熱心に聴いていただき感激している」(田中氏)などと感想を話した。