「法華経は監督一代で作られた」 公開講座で戸田教授

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 武蔵野大学仏教文化研究所の連続公開講座「大乗経典の魅力を語る」の2回目が7月6日、同大武蔵野キャンパス(西東京市)であった。戸田裕久・立正大教授=写真=が「法華経、気宇壮大な物語」と題して話し、約180人が聴き入った。

 戸田氏は、法華経サンスクリット語の写本と『妙法蓮華経(妙法華)』の記述に基づき、各章(各品<かくほん>)の概要を紹介。

 見宝塔品(けんほうとうほん)には、大地から巨大な宝塔が出現して空中に停止するというスペクタクルな場面があるほか、一つの世界に仏は一人のはずなのに、はるか昔の多宝如来と生身の釈尊が宝塔の中の座席に並び座る「二仏並坐(にぶつへいざ)」という珍しいことも起きる。戸田氏は法華経を「連作戯曲」「ドラマ性の高い経典」と表現した。

 法華経は原典が成立した地域、年代、一時に成立したのか段階的か、作者は誰か―と成立過程をめぐる様々な学説がある。

 戸田氏は私見として、法華経の制作は監督の指揮下で、共通の主題を与えられた複数の脚本担当者が数章ずつ分担して自由に執筆。この脚本を説法師が読むとき、演者の裁量で加えたアドリブの出来がよければ脚本に加筆される。それらの全てに目を通して経典の文句として認可する制作総合責任者または監督がいたのではないかと言う。

 そして成立までの年月は制作総合責任者の一生涯を超えない、「せいぜい100年以内」とし、監督者の死去とともに制作は打ち切られ、完結したとみる。

 悪人の成仏を描く提婆達多品(だいばだったほん)が後代の作とされることに対しても、挿話は法華経の中でも中核的なもので、他の章とほぼ同時期に作られたか最古級、とした。

 他の章に比べるとやや不謹慎な表現を含むので、通し上演の演目から外されることがあり、提婆達多品を含む版と含まない版が用意され、それぞれ別人が翻訳(漢訳)した、との見方を述べた。