午後の部は、庭園のれんが塀沿いの無縁坂を上り、東京大学医学部正門とされる「鉄門」から本郷キャンパスに入った。
夏草が茂る医学部未利用地に、加賀藩の支藩である大聖寺藩の江戸藩邸跡をしるす碑が立つ。寺のような建物は剣道部が練習する七徳堂。胴や道着を並べて乾かしている。
山上(さんじょう)会館の前には江戸時代初期のものとみられる石垣の一部が復原されており、石には金沢城と共通する刻印が認められるという。東大生の誰もが知っていることなのだろうか。
幅の広い石段を下りると三四郎池のほとりに達した。加賀藩主前田家が築造し、江戸諸侯で一番と称される庭園の中心だったという。傾斜の急な石段や滝があるなど池を巡る小道は変化に富むが、全体としては、うっそうとした山道。
水は緑色によどんで見え、水面も小さいので、昔の風雅を想像するのは難しい。それでも逆回りの若いカップルと行き交い、安田講堂に近い水辺では女子高生のグループが蚊と戦いながら写真を撮っていた。
中央食堂で休憩を取り、正門に近い工学部の緑地で石灯籠風の「蛇塚」や旧岩崎邸洋館の設計者でもあるジョサイア・コンドルの全身像を見て、正門、赤門、さらに進んで懐徳門へ。
懐徳門は、コンクリートの上にれんがが積み重なった塊がすぐそばにあり、他の門には見られない痛々しい印象だ。旧加賀藩主前田侯爵家が明治天皇の行幸に合わせて建設した西洋館の基礎の一部。第二次大戦の東京大空襲で炎上し、取り壊されたが、東大施設の増築に伴う発掘調査で見つかったという。構内を通り、春日門から出て東大散策を終えた。
春日通りを西へ向かい、本郷通り(国道17号)との交差点角に「かねやす」と大書したビルが見えた。ビルの前で豊福さんが「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」の古川柳を説明し、かねやす兄弟の元祖争いなどを紹介して午後4時前に解散した。湯島駅からの行程は約6キロ。
この日も要所のミニ解説資料のほか、安政(19世紀半ば)の江戸の復元地図、加賀藩上屋敷絵図の資料が添えられ、時代を重ね合う面白さが加味された。参加者からは「来たことがあるのに気がつかなかった」「深く知ることができた」と喜ぶ声があった。