今夜泊まる「美唄ホテル スエヒロ」で玄関横にバイクを置かせてもらい、近所を歩き回った。
ホテルの近くには、私が3年間暮らした事務所兼住宅が、ほとんど昔の外観のまま残っていた。のちに経営合理化で売却され、個人の家になっている。
古巣やショッピングセンターの売り場などを見て時間をつぶし、ファミリーレストラン「寿楽」で知人と再会、昼食を共にした。
この時までは、市内を1人でツーリングするつもりだった。ところが彼は「俺のガイシャで行こう」と言ってきかない。新車と思えるフォルクスワーゲンの「Up(アップ)!」が炎天下の駐車場にあった。
エアコンの風量を最大にして、旧三菱美唄炭鉱跡地方面へと向かってもらう。途中、桜の名所・東明公園に立ち寄り、道道を奥へと進む。
右手に赤いやぐらが2本見えた。作業員の出入りや原炭の搬出などに使う竪坑のシンボルで、炭鉱閉山後も残された。ほかにも施設の一部が残っており、北海道と市が「炭鉱メモリアル森林公園」として整備した。
訪れる人がいないのか、生い茂った夏草で車の入り口がわからず、どこまで進入できるのかも見定めにくい。車は底を固いものにぶつけながら行ける所まで入った。
竪坑周辺配置図の看板を見て、「開閉所」や「原炭ポケット」の名称と施設の役割を知り、そばに行ってみた。炭鉱育ちの彼は記憶をまさぐっているふうだった。
車に戻り、さらに奥へ。美唄ダムの少し先で工事中のため通行止めとなっていて引き返す。この道道は将来、美唄と富良野をつなぐという。
次にマガンの日本最大の寄留地・宮島沼を訪れた。在任中、マガンの不審死が相次ぎ、猟銃の弾による鉛中毒事故が大きな話題になったことが忘れられない。今の時期、マガンはもちろん、渡り鳥の姿は見えない。
この後はいったんホテルへ送ってもらい、夜の部は出直すことになった。店は焼き鳥屋。「美唄やきとり」は、鶏の内臓(もつ)のいろいろな部位や皮、玉ネギを串に刺した塩味が特徴で、全国的に知られているようだ。私の在任中に「たつみ」がゆうパックを始めた記憶がある。いくつかある有名店のうち、彼の一存で「三船」と決まった。
ビールももつもプリン体が多く、痛風の元。最悪の組み合わせと言われていたが、今宵もなんの、おきて破りだ。酒の中でもプリン体の多い日本酒も飲んだ気がする。
かつて彼の部下で今は課長の職に就く女性が駆けつけてくれたこともうれしくて、彼女とずいぶんと話し込んだようだが、何を話したのか記憶がない。女性が途中で帰ったのと、彼がホテルまでタクシーで送ってくれたことはなんとなく思い出せるのだが。
この日の走行距離は44キロ。