水上バスから小型船に乗り継ぎ、川から江戸・東京の歴史をたどる「水都江戸探訪-大川から日本橋川へ―」(東京都公園協会東京水辺ライン主催)が1月27、28の両日行われ、2日目に参加した。
昨年12月の同じイベントが抽選となる人気だったため、再度募集された。新型コロナウイルスの感染が急拡大している時期とあってか、参加者は両日とも30人前後で定員40人に達しなかったという。
JR両国駅に近い両国リバーセンターに集合し、階段を下りて水上バスに乗船。船室は130席あり、「密」の心配はない。上甲板に出た。一般客の姿はほとんど見えない。
水上バスの旅は、隅田川を約6キロさかのぼり、荒川区と足立区にまたがる千住大橋の手前でUターン、両国の発着場に戻ってちょうど1時間という行程。
出発直後の蔵前橋から汐入大橋まで9つの橋をくぐる。江戸幕府が開かれるより早く隅田川に初めて架かった千住大橋、2020年に東武線鉄橋脇に完成した「すみだリバーウォーク」、色や形に特徴のある橋の解説や、両岸の風景の移り変わりの説明がスピーカーから流れる。
郷土史家によるトークは名調子で休むことを知らないようだ。上甲板でも明瞭に聞き取れる。
川を上る時は右にあった東京スカイツリーが、下りでも右手に見えて、それは川の蛇行のせいだと主催の人に教えてもらった。橋の上の人たちと手を振り合ったり、白髭(しらひげ)橋や駒形橋、厩(うまや)橋の下を通過する際は体をかがめてちょっとしたスリルを味わったりと、上甲板に立てばこその場面は多かった。
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小型船は15分後に出発。隅田川を少し下って両国橋の手前で右岸の神田川に入る。川幅が格段に狭くなる。柳橋をくぐると、北の台東区側、南の中央区側ともちょうちんを連ねた屋形船が並んでいた。コロナ禍で休業中なのだろうか。
柳橋が初めて架かったのは元禄年間で、南岸は江戸屈指の盛り場、北岸は明治時代から花柳界に。だが、神田川はもともと水害対策の役割が大きかったという。
万世橋から昌平橋にかけて、左側の川沿いに赤れんがのアーチ橋が延びる。中央線の始発駅で戦時中に廃止された旧万世橋駅だ。近年、おしゃれな店が入る商業施設に再生したが、船からの低い目線では店の中は見えない。
神田川橋梁(きょうりょう)は東京メトロ丸の内線の鉄橋。飾りもデザインもない。川の下を走らせるより、単純にコストの安い橋を架けたとの話だった。
その向こうに見える高いアーチ橋の聖橋に気を取られていると、船はエンジンを切って静止、電車の通過を見せてくれた。上下線とも新型車両が通過し、船上に小さなどよめきが起きた。
神田川は北に外堀通り、南に中央線が並行する。お茶の水橋、水道橋、後楽橋と西へ向かい、小石川橋の手前で南に曲がり日本橋川へ。日本橋川は空を首都高にふさがれ、道路と川底をつなぐ太い支柱が立ち並ぶ。雉子(きじ)橋から一ツ橋にかけて右の護岸には江戸時代の石垣が残っていた。
石造りのアーチ橋が国の重要文化財になっている日本橋を下からゆっくりと眺め、江戸橋などをくぐり、隅田川に出る。
川下の永代橋、中央大橋をくぐって霊巌島を右に回り込み、日本橋川にぶつかるまでが亀島川だ。江戸初期に開削され、延長は約1キロと短いが、河川流通に大きな役割を果たしたという。
小型船は再び日本橋川をさかのぼり、日本橋船着場で下船して1時間30分の旅を終えた。これで参加費6200円なら高くはない。この経験をこれからのまち歩きに生かしたいものだ。