東久留米・柳窪 「緑の島」の古民家巡る

当主から柳窪集落の歴史や野崎家の屋敷構えなどを聞く

柳窪集落への入り口の一つ。大ケヤキの並木が「緑の島」を実感させる

 NPO法人「東久留米の水と景観を守る会」など主催の柳窪見学会が4月29日にあり、東久留米市の内外から約80人が参加した。

 

 柳窪地区は鎌倉時代の武士団が居住したことにまでさかのぼるとされ、江戸時代後期から大正時代にかけて建てられた伝統的な民家や土蔵が屋敷林とともに多く残っている。

 

 これは宅地開発の波が押し寄せたとき、地元住民有志は資産価値よりも武蔵野の面影を残すことを選んだためだ。開発抑制の市街化調整区域とするよう行政に働きかけて平成のはじめに実現した。約12ヘクタールが「緑の島」と呼ばれる景観を保つ。

 

 「守る会」は柳窪集落の人たちの協力を得て毎年春と秋に庭先から古民家を見せてもらう見学会を行っており、今回はコロナ禍による4年間の中断を経ての再開。

 

 参加者は午前と午後、それぞれ10人前後のグループで案内された。集合場所の西武バス停留所柳窪1丁目に近い畑で、戦時中に途絶え昭和の終わりに復活した「柳久保小麦」の生育状況を見て「野崎家」へ。

 

 バス通りから数歩入ると、樹齢100~150年と推定される太く高いケヤキの並木が若葉のトンネルを作り、緑の島に踏み込んだことを実感。

 

 野崎家の主屋は1877(明治10)年ごろに建てられた柳窪の典型的な大型民家。15代当主という野崎林太郎さん(37)は、戦前かやぶき屋根だった家の写真や柳窪集落の周辺が畑だけだった戦後間もないころの航空写真などを見せたり、屋号の由来を説明したりした。

 

 多摩地方ではいち早くブルーベリーを本格栽培するなど都市型農産物の生産や販売に力を入れる野崎さんは「農家の暮らしや地域の歴史をこれからも伝えていきたい」。

 

 このあと市内で唯一かやぶき屋根を残し、立派な薬医門や式台(玄関)などを構え、幕末の武州世直し一揆で襲撃された村野家住宅(国登録有形文化財)など4カ所を見て回った。