常磐炭田の盛衰と温泉による復興

常磐炭田の歴史を学んだ会場=東京都千代田区

 フラガールや温泉リゾートで知られる福島県いわき地域。本州最大の炭田・常磐炭田が全面閉山に追い込まれた地域は、このピンチをなぜ乗り越えられたのか。

 

 「近代化を支えた常磐炭田の盛衰~黒ダイヤと温泉の眠るいわきの復興物語~」と題する文化講座が5月10日、東京都千代田区のJR施設であり、いわき市石炭・化石館ほるる学芸員の渡辺文久さんが話した。約50人が参加した。

 

 常磐炭田は福島県南部の富岡町から茨城県北部の日立市にかけ、厚さ3~4メートルの炭層が斜めにのびる。全国の石炭埋蔵量の約5%(約11億トン)を占めるが、品質は原料炭よりも劣る一般炭で、石炭1トンを採掘するのに温泉40トンが湧出してしまう。

 

 幕末の安政年間に石炭が発見され、明治時代に京浜の工業地帯に近いことから中央の資本が常磐炭田に炭鉱会社をつくり、常磐線も開通して常磐炭田の地位が固まる。

 

 大正以降は戦争、震災、金融恐慌など山あり谷ありを経て戦後のエネルギー革命の進展により1986(昭和61)年、常磐炭田は採炭の歴史を閉じた。

 

 講師が語った常磐炭田の歴史で興味深いのは、昭和30年代から閉山に追い込まれるなどの危機に際して労働組合の閉山反対闘争は行われず、労使協調路線が貫かれたことだ。会社と組合に自治体も参加して「退職者のほぼ全員が再就職できた」という。

 

 炭鉱から観光へ。常磐炭礦で湧出する大量の温排水を利用し昭和41年に開業した常磐ハワイアンセンター‘(現スパリゾートハワイアンズ)を始め、「いわき地域の復興は官民と地域の連携が成し遂げた」と渡辺さんは結んだ。