
今年度から始まった西東京市文化芸術振興計画(2018年度まで7カ年)により、文化振興課が初めて企画した。参加申し込みが多く、定員を10人増やした。
近辻さんはこの日の雨降りを「田無神社の水の神様がみなさんを歓迎してくれた」と話し、同神社の前身である尉殿(じょうどの)権現社が鎌倉時代には田無二中(北原町2)の場所にあったことから現在に至るまでを、田無村の歴史のエポックと並行させながらわかりやすく解説した。
神社の参集殿では宮司の賀陽濟(かやわたる)さんが、江戸時代の文化・文政期に田無村は政治、経済、文化、医療、福祉の広い分野にわたって「特待生のまち」であったことを説明し、「花開いた文化が今は眠っている。目覚めさせましょう」と伝統文化を軸とするまちづくりを呼びかけた。
拝殿の奥にある本殿は安政5(1858)年に建築され、彫工嶋村俊表(しゅんぴょう)の傑作。東日本大震災で傷んだ土台を補修中のため、まじかに見ることはできなかったが、賀陽さんが「都の調査で初めて本殿を支える石組みが免震の働きをしていたことがわかった」と話すと、参加者たちは当時の高い技術力に感心していた。
舞殿では田無ばやし保存会の人たちが継承する田無ばやし(市指定文化財)が演奏された。参加者たちは太鼓、鉦(かね)、笛などが奏でる曲に耳をすまし、獅子やおかめの踊りに見入った。(写真下は講師の近辻さん=左=と田無神社の賀陽宮司)

