小田急線新宿駅に集合、32人全員が午前9時1分発の急行電車に座り小田原駅まで約1時間半。10時50分ごろ、小田原駅西口を出発し、めだかの学校水車小屋までは約20分。文化庁の日本の歌百選にも選ばれた童謡めだかの学校は、童話作家の茶木滋が1950(昭和25)年にNHKの依頼を受けて作詞した(作曲は中田喜直)。終戦後、買い出しに来ていて息子と交わした会話が基になったという。
荻窪用水の隣に水車と小道、せせらぎ、歌碑が整備されていたが、メダカは見つからなかった。
小田原厚木道路の荻窪インター付近から、農家の私有地を思わせる狭い道を「歩行者道路」の標識に従って上る、上る。歩き続けること約40分、竹林を抜けると左手に梅林が広がる辻村植物公園だ。個人の農園が大正時代に現在の小田原駅付近から移り、1986(昭和61)年に小田原市が譲り受けて植物公園として整備したという。正午に近かったため、右手の太陽の丘で昼食をとる。丘には大きな石がストーンサークルのように置かれ、縁にユーカリの巨木が数本そびえ、ちょっと不思議な光景だ。薄べったく相模湾も望める。
食事のあと、約600本あるという梅園へ。標準木とされる入り口の白梅は開花が遅れており、「見ごろは3月初めごろかも」と出店の人が言う。それでも1日100杯限定の無料甘酒は残り少なく、遅く駆けつけた人にあたらなかった。梅ジャムと梅干しの瓶詰が売られていたが、梅ジャムは完売して、店の人が私たちの出発時間を延ばすよう頼み込んで車で取りにいく一幕も。剪定(せんてい)した小枝もすべてもらわれた。
梅林を抜け、ウオーカーのみ通行を許すロープの間をくぐって私道を進み、水之尾毘沙門天へ。小田原城を修築する石を切り出したところ、石から血が流れ、毘沙門天も枕辺に現れたため採石をやめたとの言い伝えがある。お堂まで70段ほどの急な階段があり、お参りをあきらめる人が少なくなかった。
荻窪地区の農道を再び上り、近年整備された「白秋童謡の散歩道」の北辺「からたちの花の小径(こみち)」から城山公園に出て小田原高校、競輪場の横を通り尊徳二宮神社を見て午後3時ごろ、小田原城址公園で解散した。(写真下は、左からめだかの学校水車と水辺、太陽の丘)