
今夏に世界文化遺産登録を目指す「飛鳥・藤原」の3要素とされる宮都・墳墓・寺院について、それぞれの専門家から研究成果を学ぶ「かんだい明日香まほろば講座」(奈良県明日香村・関西大学主催)が1月24日、約600人が参加して東京・有楽町朝日ホールで開かれた。
「飛鳥時代の都-激動の東アジア世界の中で―」と題して講演した村本健一・関西大文学部教授は、7世紀のこの時代、一つとして同じもののない様々な王宮が築かれたと話した。
飛鳥寺の南方で複数時期の王宮遺跡らしいものが確認されている。最も新しいとされる天武天皇の飛鳥浄御原宮から持統天皇が藤原宮へ遷都するまで、20年かけて藤原宮の造営が進んだようだ。
7世紀後半に築かれた飛鳥宮と藤原宮が時間的に連続しているのに、王宮の設計などに異なる点が多いのは、中国式の都城を推進する立場とそれを否定する立場との対立があり、行きつ戻りつしながら築造されたのではないかと言う。
西本昌弘・関西大名誉教授は「飛鳥時代の開幕を告げる古代寺院」と題する講演の中で、日本最初の寺院は「豊浦(とゆら)寺と小墾田(おはりだ)寺で、ともに尼寺」と述べた。
初期の寺院は、中国・朝鮮半島から伝来した仏教を蘇我氏と蘇我系王族(用明天皇・推古天皇・聖徳太子)が受け入れ、渡来系氏族の協力を得て造営された。
現在の向原寺(こうげんじ)の下層には推古天皇が即位した豊浦宮とみられる遺構があり、もとは蘇我氏の邸宅。推古天皇が小墾田(おはりだ)宮にうつった宮跡は豊浦寺として整備され、7世紀初めに創建されたとみられる。
飛鳥時代の幕開けは蘇我氏の娘が出家して修行し、推古天皇や斉明天皇といった女性が仏教信仰をリードしており、女帝が多く生まれた背景になっているのではないかとの見方を示した。
世界遺産の構成資産候補19件のうち墳墓は高松塚古墳など7件を占める。西光慎治・明日香村教育委員会文化財課課長補佐は墳丘と埋葬施設の特徴を中心に「飛鳥時代の墳墓-天皇を頂点とする社会秩序-」と題して講演。
墳丘を見ると、ヤマト王権の象徴だった前方後円墳は飛鳥時代の律令国家形成期になると、天皇を頂点とした新たな社会秩序として八角墳(牽牛子塚<けんごしづか>古墳など)が導入される。方墳(石舞台古墳など)や円墳(キトラ古墳など)も現れるが、被葬者の地位や王権による階層を表し、形や規模が規制された。
墳丘が公的なものなのに対し、石室などの埋葬施設は王権による規制を受けにくく、被葬者や氏族などの意向が反映される私的なものと言える。バラエティーに富み、地域性があり、階層の違いを表さない。
講演後のパネル討論で、3氏はそれぞれの立場から「飛鳥・藤原」の世界遺産登録が人類にとって普遍的な価値を持つ理由を語った。