ハラハラと舞い始め 文理台公園の桜

満開ショーを繰り広げる文理台公園の桜だが花見客は少ない=4月8日午後4時ごろ

 3月の寒さ続きで桜の開花が遅れ、開花したら暖かい日が続いて見ごろが早まる。

東京はじらされた末に花見日和が少なく、明日は花散らしの雨になりそうだという予報。

 

 ならばと、4月8日午後、西東京市内の桜の名所の一つ、文理台公園(東町1丁目)へと出かけた。

 

 何年か前に1度しか行ったことがないので、市が作製した「みどりの散策マップ」と水のボトルを携えた。市内の西から東へ。遠回りをしたらしく、約50分のウオーキング。中町交差点を目の前にして初めて地図で居場所を確かめた。

 

 平日の夕刻とあって、花見が目的と察せられるのはシートを敷いて座り込むペアの3組とベンチでたたずむ老人1人。小雨が降ったりやんだりの不安定な空模様のせいかもしれなかった。

 

 桜の木は、公園の外周の西側から南側にかけ、しだれ桜とソメイヨシノが20本余り取り巻いている。花の色がやや濃いしだれ桜は見ごろを迎え、ソメイヨシノは散り始めだった。

 

 時折吹く風にハラハラと舞う花びらを手のひらで捕えようとする少女を、おばあちゃんがほほえみながら見守っていた。

 

 花びらに負けないほどシャボン玉をまき散らして遊ぶ少女もいた。通りすがりにスマートフォンのレンズを花に向ける人もいたが、満開ショーの終幕間近にしてはもったいない光景に思えた。

西東京市ウォーキング協会が解散 新組織で活動へ 

東京・練馬区の田柄川緑道で春の花を楽しんだミニウオーキング。新組織で活動が復活する


 西東京市ウォーキング協会は3月27日、市内で総会を開き、同協会の解散を正式に決めた後、活動内容や運営方法を変えてウォーキングを楽しむ新組織の発足を決めた。

 

 コロナ禍による長期の活動休止や役員の成り手がいないことから、同協会は昨年役員会で解散の方針を打ち出していた。

 

 総会には会員64人のうち18人が出席し、35人が「委任」と回答した。総会では、まず「解散」を採決し、過半数で可決。協会の会費残高約27万円については、協会の残務処理などの経費を引き去った全額を寄付することとし、寄付する先は旧役員に一任した。

 

 新組織の活動は、高齢者の体力に配慮し、歩く距離や時間を短くしたコース設定とし、原則として月に1回行う。会費は徴収せず、会計業務をなくす。

 

 2024年度は当面、代表(旧会長)が年間計画を作り、初回は5月15日、さいたま市の大宮花の丘農林公苑とした。

 

 新組織の名称は今後に持ち越し、グループ分けや会員間の連絡方法、活動計画の作成などについても、今後の活動を通して会員に負担がかからない方法を模索していくことにした。

 

【訂正】初回の目的地は「さいたま市の大宮花の丘農林公苑」から「東京・港区白金台の目黒自然教育園国立科学博物館附属自然教育園)」に変更となりました。

花桃は見ごろ 茨城・古河 花見バス旅(3)

花桃見物の行楽客でにぎわう古河公方公園の桃林

 花見バスツアーの最後の目的地は茨木県古河市鴻巣古河公方公園。「日本一の花桃の里」を掲げ、古河桃まつり(16~31日)が行われていた。

 

 到着は午後4時に近く、風は肌寒く感じられたが、桃林は子ども連れの家族らでにぎわっていた。

 

 古河桃まつりのパンフレットによると、古河藩主が江戸の家臣の子どもたちにモモの種を集めさせ、古河に送って農民に育てさせたことが桃林の由来とされ、1975年開設の公園に組み入れた。

 

 会場入り口には「見頃」と開花状況が大書されていた。花を観賞するための桃にも種類があり、「6種類も見られるのは日本では珍しい」とまつりを主催する市観光協会の人は話した。

 

 園内には約1500本が植えられ、このうちの9割はひなまつりの代表的な切り花で知られる「矢口」という品種。八重咲きで花つき、花もちがよいという。

 

 病虫害で伐採し、木の若返りを進めたため、「以前よりは見劣りする」(市観光協会)と言うが、濃いめのピンクにわが身も染まりそうで、風の冷たさをひととき忘れるのだった。

カタクリは満開間近 栃木・佐野 花見バス旅(2)

カタクリのかれんな花を撮影する人たち=2024年3月19日午後2時40分、栃木県佐野市町谷町

 栃木県茂木町のミツマタ群生地の次の目的地は同県佐野市町谷町の「万葉自然公園かたくりの里」。バスは真岡インターチェンジ(IC)で北関東道に乗り、東北道佐野サービスエリア(SA)で降りた。

 

 カタクリの群生地は、万葉集にうたわれた三毳(みかも)山の北斜面のコナラの林にある。幅の広い、やや急な階段を上ると、薄紫色の花弁を反り返して下を向くカタクリの花があちこちに見られる。上るにつれて花は密度を増し、群落と呼ぶにふさわしい。

 

 群生地は約1・5ヘクタールに約150万株あり、日本有数の規模といい、市指定文化財になっている。

 

 満開かと思われたが、管理事務所で聞くと「7分咲き」ということだった。ここも寒さで開花が遅れ、「かたくりの花まつり」は当初の予定より1週間ずれ込み15~31日に変更されたという。

ミツマタ4分咲き 栃木・茂木 花見バス旅(1)

見ごろ間近のミツマタ=2024年3月19日、栃木県茂木町の焼森山

 ミツマタカタクリ花桃と3種の花見が楽しめるというバスツアーに参加した。東京都心で22度を超える日が続いた陽気から一転、この季節らしい肌寒さが戻った3月19日午前7時半、21人の客を乗せた小型バスが東京駅前を出発した。

 

 最初の目的地は栃木県茂木町の焼森山(やけもりさん)ミツマタ群生地。首都高、常磐道北関東道を経て、道の駅に似た同町の「いい里さかがわ館」で一休みし、弁当を積み込む。ここから1時間のハイキングでミツマタ群生地に向かうグループがいた。

 

 バスは十数分でシャトルバス乗降所でもある駐車場に着く。ここから少し歩き遊歩道入り口のある広場へ。仮設トイレとベンチが備えられており、ミツマタ保全協力金(500円)の受付テントも。

 

 「ミツマタジンチョウゲの仲間」とは、同乗の人から聞いて知った。木の枝が三つに分かれることが名の由来で、樹皮が和紙の原料になることは知っていて、埼玉県東秩父村の「和紙の里」を訪れたことはあるが、花に時期の群生地は見たことがなかった。

 

 木は高さ1~2メートル。群生地は町有林の中にあり、スラリと伸びた杉木立の斜面と谷を埋めていた。白いつぼみのふくよかさと開いた花の周りの濃い黄色が好ましい。今年は3月上旬の降雪で開花が遅れ、「今日で4分咲き」とミツマタ保全協議会の人が言った。

 

 保全協の人によると、ほとんど種が飛んで自然に増え、杉の間伐による日当たりの良さも手伝って1ヘクタールを超える面積に約7500本が生えているという。

 

 開花の始まった枝を見つけては立ち止まって写真を撮り、約630メートルの遊歩道をゆっくりと歩いた。道幅は狭いが、木くずが敷かれてあり、ほどよいクッションになっている。

 

 「満開は23、24日ごろかな」とは保全協の人の見立てだが、群生地が黄色い花で埋まったらパンフレットでうたう「妖精の森」にふさわしい光景だろうと想像した。

権太楼で初笑い

 柳家権太楼の独演会が3月10日、東京・三鷹市であった。今年の落語会はチケット発売日を失念したり、発売日に用事で出かけなければならなかったりして、ずいぶん遅い初笑いとなった。

 

 チケットの発売日は、厳密にいえば電話かインターネットでの予約なのだが、午前10時の発売開始時はなかなかつながらない。

 

 ラジオの時報よりフライング気味にポチっとして運よくつながっても、次の手順のどこかでやり直しを余儀なくされる事態も増えた気がする。

 

 この日の座席は前から2列目でステージのほぼ真ん中。演者の肉声がビンビン届き、姿が大きく見える。難点もあって、首を上げ続けていなければならない。

 

 1席目は、「きのうやって面白かった」という『質屋庫(しちやぐら)』、2席目は「何にしようか」と『百年目』などの演目を挙げては拍手の多さを聴き、結局は『代書屋』に。周到な準備とスキのない芸を見せるのではなく、いい加減を装って客席に降り立ち、客をその気にさせてしまう、なんとも老獪(ろうかい)な手口、と見た。

 

 落語は本編の噺(はなし)もそうだが、どんなマクラを聴けるのかにもワクワクする。この日は政界に超党派の「落語議連」があり、小泉進次郎が落語好きなことを知った。

 

 また派閥の裏金事件に「怒り」を隠さず、自民党若手議員らの懇親会で女性の過激な演出のショーがあったことについては「昔で言えば『お座敷ストリップ』。ダメに決まっているでしょ」と切って捨てた。満席の客席は大きな笑いで応えた。

 

 権太楼師匠は私より1歳年上なので、個人的には運転免許の話に神経が集中した。18歳で免許を取ったが、運転がへたで「ゴールド(免許)になったことがない」と事故例を語り、免許証は自主返納したと言う。

 

 私は19歳で普通免許を取得したが、最近は四輪車を運転したい気持ちが薄れ、かろうじてバイクを所有している。

 

 師匠はバイクと衝突した事故が返納決断の一因になったようだが、そのバイクを私に置き換えれば、返納をためらう理由は見当たらない。2年後の免許更新期限には返納しよう。

山手線、複雑な生い立ち 隅田川クルーズで学ぶ

隅田川を下る水上バスで鉄道の歴史や最新事情を語る小林祐一さん

新しい商店街を形成するれんがアーチ橋も立派な鉄道遺産だ=新橋駅付近

 水上バスを運航する東京水辺ラインがクルージングと鉄道史まち歩きを組み合わせた「歴史クルーズ・小林祐一の鉄道散歩~山手線がつくった街『東京』~」が2月27日にあり、29人が参加した。

 

 小林さんは交通史学会の会員で、JR東日本の山手線に詳しいという。クルージングに先立ち、「『汽笛一声』から高輪ゲートウェイまで 山手線開拓の歴史をたどる」と題して講演。

 

 日本の鉄道は東海道中山道に沿う形で計画されたことや、池袋―田端間が最初に山手線と名付けられ、1932(昭和7)年に現在の周回する山手線の原形が完成するまでの曲折、2024年に正式開業をめざす高輪ゲートウェイ駅の特異点などを話した。

 

 水上バスは両国リバーセンターから出航。隅田川を下り、レインボーブリッジの手前でUターンしてウォーター竹芝に着岸した。

 

 強風のため上部デッキには出られず、全員が客室で着席したまま約1時間、橋や沿岸の風景を見ながら、小林さんが話す隅田川の水上輸送や山手線沿線の開発にまつわるエピソードを聴いた。

 

 下船後はガイドレシーバーを装着してまち歩き開始。JR新橋駅近くに復元された1872(明治5)年開業時の新橋駅舎の外観とプラットホームをビル3階から見下ろし、実際にそばで線路などを見た。駅舎内の展示施設も見学。

 

 超高層ビル42階の和食レストランで食事をとり、新橋駅でD51動輪や明治時代に米国から輸入したホーム階段の鉄柱を見て、小林さんの解説を聴いた。

 

 新橋駅西側の烏森口付近から東京駅に向かい、高架下のレンガ積みの壁沿いをひたすら観察歩きする。れんがを横に並べた列の上下が縦置きなのは鉄道技術と同じくイギリス式だという。

 

 ガード下の通り抜け空間は線路やバラスト(砕石)の重さによる地盤沈下を抑える役割を担う。有楽町側のアーチの幅が新橋のものより狭く、アーチとアーチの間隔が近いのは地盤が強固だから。

 

 道路と立体交差するガードには建設当初のリベット打ちの鉄柱が残っていて装飾性も高い。

 

 見慣れたれんが壁やガードの柱にも、鉄道遺産があふれている。小林さんは東日本鉄道の収入のうちガード下の飲み屋街の賃料など不動産収入がかなり上位を占めていることも教えてくれた。

 

 まち歩きの終点は東京駅。出口から出口まで1.1キロあって国内で最も長い駅と言う。駅舎外壁のれんが壁の装飾目地、丸ビルに保存展示されている基礎材のスギ丸太と、ここでも雑学の上積みがあった。