すがすがしい涙 乾く暇なし インド映画

 9月24日、インド映画「きっと、うまくいく」を三鷹で見た。

 

 インドの風景を映像でいいから見てみたい気持ちと、「歌やダンスのシーンが底抜けに楽しく、観(み)る人の心を明るくする力を持った快作」というチラシに誘われてのことだ。

 

 最近は、事件と人の絡みが複雑だったり、訳ありに見える登場人物が多すぎたりして、長時間我慢や思考を求められるものが苦手になった。ただただ悲しい涙を流させられる物語も好みではなくなった。昔に比べて選択の幅がずいぶん狭くなった。テレビドラマもしかりである。

 

 だから、底抜けに楽しいとか観客の心を明るくするエンターテインメントとかの宣伝文句にひかれた。

 

 「きっと、うまくいく」はインドの超難関理系大学が舞台。ここに学ぶ天才、動物好き、臆病者の3人は大の仲良し。成績本位主義の学長らを巻き込んでの騒動がテンポよく展開する。

 

 わが子には社会的評価の高いエンジニアになってほしい親、就職先を決定づける学業成績、そのための競争、学生の高い自殺率―と高等教育を巡る問題点も埋め込まれていて、それはそれで心に残るが、すがすがしい結末も用意されていた。

 

 正味171分が全く長く感じられなかった。とくに後半はにじみ出てくる「いい涙」の乾く暇なくストーリーを楽しんだ。

 

 ブルーレイによる映像は2度フリーズしてそれぞれ数分間の中断があった。午前の部でも同じトラブルがあったことを知らされていたせいか、観客は余裕を持って回復を待ち、ラストに近づいた時の中断はハッピーなシーンとあってあちこちで笑いが起きた。

風雨やむ間にホウレンソウ種まき

 9月20日の農業講座は、過去最強クラスの台風14号の動きにヤキモキしながらも、風雨のないのを見て予定通り朝の畑作業を決行。

 

 この日は先生が不在という事情もあり、作業は先週敷いた5穴のマルチシートにホウレンソウ「ミラージュ」の種をまくだけ。

 

 とはいえ、(1)コーヒー飲料の広口の空き瓶を活用し、均一の直径と深さの穴をつくる(2)一つの穴に置く種は3粒(3)指定された畑からなるべく乾いた表土を運び、指先で細かく砕いて種を置いた穴を覆い、手で軽く押さえる――といった手順が必要。

 

 8人で分業体制をとった結果、約20分で作業完了。私は種が置かれた後の土かけを数十カ所やったが、中腰の作業はきつい。蒸し暑さも手伝って、ゴム手袋を外すと手袋の口から汗が滴り落ち、手のひらはふやけていた。

 

 「雨が降らないうちに帰りましょう」と主催者の公民館担当者が9時ごろ早々の切り上げを告げてくれたのはうれしかったが、リーダー格の人に「このツケは来週どっさりありますから」と続けられ、急に疲れを感じたのだった。

仏教の女性観 武蔵野大で公開講座

「女性と仏教」の研究の展開を話す岩田真美准教授

 「仏教の女性観-浄土真宗を中心に―」と題する公開講座が9月3日、武蔵野大学武蔵野キャンパス(西東京市)であった。

 

 講師は岩田真美(まみ)龍谷大学文学部准教授。武蔵野大学仏教文化研究所が主催し、語られることや女性研究者が少ない「仏教における女性」を統一テーマとした連続公開講座の一つ。

 

 岩田氏は、釈尊は悟りの可能性を性差に関係なく認める「革新的な人」だったが、釈尊の没後は女性出家者の比丘尼(びくに)のほうに男性出家者の比丘(びく)よりも多く戒律が課せられる差別や、仏陀は男性であるという観念も表れる。

 

 大乗仏教では、女性はいったん男性に変身しないと仏になれないという変成男子(へんじょうなんし)の考え方が法華経に見られる。

 

 仏教伝来当初の古代日本の最初の出家者は女性で、日本書紀によると、6世紀末に渡来人の娘ら女性3人が百済へ留学し、正式な比丘尼になって帰国後、多くの尼僧を指導したという。

 

 しかし、律令体制が導入されると政治・宗教・文化のあらゆる面で女性の活動が制限され、男性優位の社会に転換。平安時代になると、女性は仏になれないという五障説や、変成男子説が経典に取り込まれ、貴族を中心に社会に広く浸透し、五障説から生まれた女人不浄観は山岳仏教などでの女人禁制を確立してゆく。

 

 親鸞の女性観については、女性の救済について直接言及したものは極めて少ない。著作を検討すると、変成男子説による女人往生を説く場合と、男女の区別なく一切衆生が等しく救済されるという場合があり、「答えは一つではない」。親鸞の妻も、これまでの資料では女人往生について語っていない。

 

 親鸞以降は本願寺第8世の蓮如のように女人の往生成仏が説かれ、各地に女性の門徒たちが集まる女人講が結成される。近世後期には西本願寺の宗主が女性だけの講を組織化。これらが近代以降は仏教婦人会へと発展する。明治20年代には、婦人会創設の動きは地方へと広がっていった。

 

 日露戦争が勃発し、挙国一致の名のもとに各地に愛国婦人会が結成されると、本願寺も応える形で全国の女性門徒を統一する組織「真宗婦人会」を結成(のちに「仏教婦人会」と改名)。

 

 西本願寺は1909(明治42)年、それまで明確な立場を与えられてこなかった女性に「女教士」の地位を付与したが、女性僧侶(教師・準教師)制度の導入は1931(昭和6)年、さらに女性の住職が認められたのは男性の戦死による住職不在となった戦後のことだった。

 

 このように日本で「女性と仏教」の本格研究が始まったのは1980年代とされる。

 

 岩田氏は、今日の仏教の実践的課題は女性の問題にとどまらず、宗教が作り上げたジェンダーの平等の実現をはじめ、「誰一人取り残さない」を理念とするSDGs(持続可能な開発目標)と取り組む必要があると強調した。

白いヒガンバナ満開 千葉・柏 農業公園

農業公園本館前の花壇で白いヒガンバナが満開

開花が始まったヒガンバナ。見ごろの期間は短いという

 季節の花と庭園を楽しむ講座(大人の休日倶楽部趣味の会主催)の野外講座が9月15日、千葉県柏市のあけぼの山農業公園であった。

 

 西東京市の自宅から西武池袋線、JR山手線。JR常磐線と乗り継ぎ我孫子駅北口から阪東バスで同公園入り口(終点)下車、徒歩で少々と2時間の旅。

 

 野外講座のお目当てはヒガンバナ。本館前花壇にはシロバナヒガンバナが満開だった。赤い花のヒガンバナと黄色い花のショウキズイセンの交雑種といわれる。

 

 白とはいっても純白ではなく、うっすらとしたクリーム色。それにしても赤プラス黄がなぜ白なのか、造園のベテラン講師も首をかしげていた。

 

 赤いヒガンバナの群生地は温室横の坂を下り、売店の向かいの丘の斜面にあった。が、残念なことにまだ咲き始め。植え始めて20年以上になるそうだが、スカスカに見える。通路沿いが比較的開花している。

 

 ヒガンバナは毒に気をつけなければならないが、毒のおかげでミミズが住まず、ミミズを捕食するモグラがいないことで水田のあぜを水漏れから守っているという。

 

 またヒガンバナは葉がないのに、なぜ季節がわかる花を咲かせるのか。同園の樹木医は「球根で地中の温度を感じ取るという説が有力」と話した。

 

 週末に雨が降れば、赤いヒガンバナは一気に咲いて見ごろになるという。

ニンジン間引き 初収穫

順調に育ったニンジンの間引き作業。間引き菜は家庭で食材に

 9月13日の農業講座はホウレンソウとカブを作るための肥料まきからスタート。肥料はいずれも小さい粒状で2種類は共通、ホウレンソウの区画はアルカリ性を強める成分のものを追加した。

 

 ホウレンソウのうねを先生が耕運機で掘り起こしてくれる。横に5つ穴の開いたマルチシートを張る。種まきは来週。

 

 離れた所にあるキャベツは早生種の中心部が巻きかかっている。早生、晩生ともうねを崩して東側に追肥。粒状の肥料を手でまき、ジョレンで土を寄せる。

 

 ブロッコリーとカリフラワーのうねに移り、キャベツと同じ要領で追肥した。

 

 ニンジンは先生が初めから手を掛けてくれた。丈は30センチ前後で、葉は密集し、「今年は具合がいい」と先生。長いうねを4班分に分けて間引き作業をした。

 

 拳1つ分(約10センチ)を基準に太いものを1本だけ残す。東側がカロテン豊富な「オランジェ」、西側は表皮が赤い「京くれない」という品種。素人は葉での見分けがつかない。

 

 間引き菜は各班でいったんまとめたうえ人数に応じて等分した。講座を主催する公民館の担当者から「おいしかったらレシピを書いて」との注文。受講者たちは「初収穫」を喜びながら、ゆがいたり、いためたりの調理法を披露し合っていた。

「大黒様の像は宝珠を確かめて」 仏像講座

東京・港区の港七福神の一つ、大法寺の大黒天像。江戸時代の作とされる=2020年1月

 にこやかな表情で富をもたらしてくれる神様の大黒天が、日本に入った時は怒りの形相だった―。こんなつかみで「大黒天講座」が始まった。

 

 武蔵野大学生涯学習講座「仏像を見る、考える」の2回目が9月12日、三鷹のサテライト教室であった。先生は同大研究員の生駒哲郎さん。

 

 レジュメに大黒天像の写真はなく、米俵の上に立つ大黒様を描いた別々の神社の開運のお札2枚がコピーされていた。烏帽子(えぼし)をかぶり、狩衣(かりぎぬ)を着て、右手に小槌(こづち)を持ち、宝袋を背負う神様。

 

 この絵の中に仏教世界を表すものがあると生駒さんが問う。答えは宝珠。宝珠は仏そのもので現世利益の象徴。それが1枚は俵の1つずつに、もう1枚は衣服の腹部に描かれていて、どちらも3つ1組になっている。

 

 だが、一方の絵は1つの俵に1つの宝珠しか描かれていない。それはなぜか。実は小槌の表面に宝珠が描かれていたのだ。離れていても線で結べば三角形。宝珠は常に三点セットなのだという。

 

 三点セットは、衆生を救済する阿弥陀如来の脇侍に勢至菩薩観音菩薩がいる三尊形式を表し、熊野信仰が起源だそうだ。

 

 生駒さんは、宝珠が3つそろっていれば「古来の信仰に基づいた大黒天。宝珠がなければ明治以降と考えてよい」と言い、観察を楽しむよう勧めた。

 

 また大黒天と大国主命(おおくにぬしのみこと)は音が似ていることから神仏習合して神のようになり、日本独自の狩衣(かりぎぬ)をまとう姿になったという。

「社会と学術つなぐ博物館を」 加藤教授講演

地域博物館の具体像などを話す加藤幸治・武蔵野美大教授

 西東京市の地域博物館を創(つく)ろう連合会と同市公民館共催の講演会が9月10日、保谷駅前公民館であり、「いまミュージアムをつくる―期待される役割と課題-」と題して、武蔵野美術大学教養文化・学芸員課程教授の加藤幸治氏が話した。約30人が参加した。

 

 市内にはかつて日本初の民族学博物館があり、その収集物の多くが国立民族学博物館大阪府吹田市)に保管されていることや、国史跡に指定された縄文中期の下野谷(したのや)遺跡の遺物などの保存活用の場が不十分だとして、新しい形の博物館を整備する機運を高めようと文化団体が取り組んでいる。

 

 加藤氏は東日本大震災で大きな被害のあった宮城県石巻市牡鹿半島鮎川で復興のために実践してきた活動を紹介。牡鹿半島ビジターセンターは収蔵庫がなく学芸員もいない交流施設だが、「外部協力者の活動があるだけでも広い意味でミュージアム」という。

 

 戦前は捕鯨会社のパビリオンだった「おしかホエールランド」は商業捕鯨の伝統を踏まえながら、地域文化としてのクジラを再考したり、人と動物の新たな関係を考える材料を展示したりする場とした。

 

 加藤氏はこれからの博物館は「学芸員が頑張る」から「みんなのアイデアを結集する」への転換が必要と強調した。また名品・珍品を陳列する博物館に代わる学びのセンターとなる地域博物館とするために「ネットワーク」を重視。

 

 具体的には、学問的関心と地域住民の関心との接続▽企画を地域の人と一緒に行う協働▽施設内での活動と外に出るアウトリーチの複合▽文系と理系の成果を混ぜ合わせる共創▽動画配信、SNS、ローカルメディアによる発信-を挙げた。