朝日ガイドウォークの「再訪・福生酒蔵見学と街歩き」が7月5日にあった。前回、キャンセル待ちがあったことから再度募集したといい、11人が参加して約4キロを歩いた。
JR青梅線福生駅西口に集合し、徒歩15分ほどで旧ヤマジュウ田村家住宅に着いた。この田村家は次に訪れる田村酒造場を営む田村家の分家で、明治末期、自宅近くに郵便局を開設したり、大正期に電報電話業務を始めたりして、福生村の発展に尽くした。
1902(明治35)年に建った大型民家で、主屋と2つの蔵が国の登録有形文化財になっている。参加者たちは主翼に上がり、明治期の間取りの中に豪華な造りや近代的な備え付けのたんすなどを見て感心する声を上げていた。
田村酒造場では幹部の男性が田村家の庭や酒造蔵を案内してくれた。敷地内には玉川上水からひいた「田村分水」の水路が通り、市内を巡って多摩川に注ぐ。分水を利用して精米した水車小屋の外に、たくさんの石臼が転がっていた。
田村分水は酒造のためだけでなく、地域の水田や畑の開発のため幕府の許可を得て1867(慶応3)年に出来たという。
酒造蔵は本蔵、中蔵、新蔵が連なり、今年全面補強工事を終えたれんがの大煙突が田村酒造場のシンボルになっている。本蔵は1822(文政5)年に建てられ、皮をむいただけのスギの丸太は200年を過ぎた今も建物を支えている。
田村酒造場を代表する銘柄「嘉泉(かせん)」(よき泉という意味)のもととなった井戸も現役で、湧き出す水は硬水と軟水の中間の硬度だという。
樹齢900~1000年と推定される大ケヤキも印象的だ。東京都内の個人所有では最古という。
福生市内にはもう一つ、「多満(たま)自慢」を代表銘柄とする日本酒蔵元の石川酒造があり、トップ同士は親戚関係。そんな事情もあって「地酒で乾杯を推進する条例」が2013年に都内で初めて制定された。
2つの酒蔵合同の「福生蔵開き」は今年で3回目。蔵を開放し、内部の見学や試飲、地場産品の販売などを通して市民らに楽しんでもらうという。
市内のレストランで昼食をとった後、米空軍横田基地の第2ゲートの前を通り、福生駅東口で解散した。