<西東京市議会>物価高騰対策を補正予算案に計上 定例会始まる

 西東京市は物価高騰対策を盛り込んだ一般会計補正予算案を6月2日開会した第2回定例会に提出した。

 

 池沢隆史市長は一般会計補正予算案の提案説明で、「国の給付金と市の一般財源によりゼロ歳から高齢者まで幅広い世代を対象として市独自の大規模な物価高騰対策を実施する」と述べた。

 

 物価対策のうち、市内の参加店で利用できる電子商品券方式の「プレミアム応援カード」を一般向けと若者(19~29歳)向けに販売する。8月から申し込みを受け付け、抽選のうえ11月に引き換える。

 

 一般向けは1枚4千円で売られ、6千円分の買い物ができる。1人2枚までとし、5万5千枚を発行する予定だ。

 

 若者向けカードは1枚千円で販売され、5千円分の買い物ができる。1人1枚は必ず買うことができ、もう1枚は発行予定全体の3万枚を超えた場合に抽選となる。

 

 65歳以上の高齢者には1枚5千円のカードが10月に郵送される。対象は5万1千人を見込む。昨年、新型コロナ禍のフレイル予防を名目としたカード発行と同規模の支援策だ。

 

 国の給付金の対象とならない大学生と子育て世帯には市が独自に現金給付する。7月から実施予定。

 

 大学生ら(19~29歳)への給付額は1人5万円。「住民税非課税で課税者の扶養になっていない」または「日本学生支援機構から給付奨学生の認定を受けている」などの要件があり、対象は約500人。

 

 国の子育て世帯生活支援特別給付金(児童1人あたり5万円)の対象外となる、18歳以下(今年度末)の児童を養育しているすべての保護者に、児童1人あたり1万5千円を支給する。対象児童は3万人を見込む。

 

 国の支給対象の児童がいるのに家庭内暴力による別居や低所得でも受給できない世帯にも児童1人あたり5万円を支給する。対象児童は約30人。

 

 このほか省エネ性能の高いエアコンと冷蔵庫の買い替え購入費の一部助成を拡充。購入先によって助成率を8分の1から4分の1、上限額を2万5千円から5万円として家庭の負担軽減を兼ね脱炭素を進める。

アニメで伝える「原爆の記」

 西東京シネマ倶楽部の「市民名画座」は5月27日、「忘れてはいけない記憶」と「Fukushima50(フクシマフィフティー)」を保谷こもれびホールで上映した。

 

 「忘れてはいけない記憶」は、太平洋戦争末期の1945年、米軍の空爆と目撃証言、犠牲になった人々の慰霊をする行事や記念碑などを収めた映像記録「西東京にもあった戦争」に、新たに「原爆の記」のアニメーションを加えた約45分の作品。

 

 西東京の戦災記録映像は何年か前に、「西東京平和の日」記念行事で見たことがあり、「原爆の記」も購入して読んだ。原爆の記がどうアニメ化されたのか、興味をそそられた。

 

 原爆の記を著した指田吾一は初代の旧田無市長。北海道から広島へ赴いた軍医・指田は任務中に原爆投下に遭遇。閃光(せんこう)、爆風、廃墟、やけど、死体の渦…。

 

 切り絵のような鋭角的な太い線で人物や景色が描かれる。棟方志功の版画が思い浮かんだ。絵の流れはパラパラ漫画をゆっくりとめくるようだ。1コマ1コマが訴える力を持つ。

 

 上映に先立ち、アニメ制作を監督した外村(とむら)史郎さんが舞台あいさつした。外村さんは2012年の西東京市民映画祭に出したアニメ作品が優秀作品賞を受けており、縁が深い。

 

 外村さんは「人類史上最悪の殺戮(さつりく)をアニメ化できる力が自分にあるか、葛藤した」と明かし、どこかの国を批判するのではなく、(作品によって)空襲という事実を伝え、その事実に目を向けてもらえるようになればよいのではないか、との思いに至ったと言う。

 

「原爆は一瞬にして幸せな日常を奪った。原爆資料館広島平和記念資料館)に足を運んで理解を深めてほしい」。外村さんはこう結んだ。

自然公園から科学館へ 第1回「散策路を歩こう」

西東京の木50選の一つ、クヌギの大木が残る西原自然公園

 わがまち発見と健康づくりをねらい、公園や社寺などを巡る西東京市の「『みどりの散策路』を歩こう」の今年度1回目が5月24日にあった。

 

 全11コースのうち、「西原と多摩六都科学館」コースの2.6キロ。爽やかな青空の下、17人が参加した。

 

 集合場所となった西原自然公園は、武蔵野の雑木林の面影を残す公園として1979年に開園し、広さは約2万平方メートル。市と民間団体が協力して伐採や切り株から芽を出させる天然更新などにより林の若返りと取り組んでいる。

 

 参加者たちは園内の広場で民間団体の前代表から自然再生への試行錯誤の足取りを聞いた後、西東京自然を見つめる会の案内で「西東京の木50選」となっているクヌギを見上げたり、50選の決定後に枯死して切り株となったヤマザクラを惜しんだりした。

 

 公園に隣接する集合住宅団地の西原グリーンハイツにも50選の木・ヤマザクラがあり、頂上付近の枝にツミの姿が確認できた。ツミは絶滅が心配される日本で一番小さい猛禽類で、タカの仲間。公園で鳴き声が聞こえていた希少種が、白い羽毛の腹を見せて止まっており、参加者を喜ばせた。

 

 一行はこのあと西原総合教育施設(旧西原第二小)にある郷土資料室で小学校から出土した銃器類の特別展示や縄文集落・下野谷(したのや)遺跡から出土した石器・土器などの展示室を見学。

 

 多摩六都科学館の敷地では、毛利衛さんが2000年にスペースシャトルで宇宙に持っていった種を北海道で育て、ここに植えた「宇宙桜」(エゾヤマザクラ)を見た。

 

 同館スタッフの話では、2005年に植樹し、一時期成長不良となったが、ソメイヨシノにやや遅れて今年も美しい花を咲かせたという。敷地にはほかに小規模な雑木林やヒキガエルが繁殖する池もあり、「知らなかった」と多くの人が興味深そうに説明を聞いていた。

 

 今年度の開催は計4回、次回は6月28日の予定。

都電荒川線 沿線のバラ見ごろ

色とりどりのバラの花が咲き競う都電荒川線三ノ輪橋停留場付近

 都電荒川線荒川区内沿線のバラが見ごろを迎えた。

 

 荒川区は区の中央部を東西に走る都電(路面電車)約4.8キロのうち、植栽できる約4キロ区間に約140種、約1万3千株を植え、区のシンボルにしている。

 

 今年も春の見ごろとなる5月中旬から下旬にかけて、沿線のバラ花壇を巡るスタンプラリーや生花店で通常より安い花鉢の販売などのイベントが行われている。

 

 19日は新聞社主催の沿線バラ巡りがあり、おすすめスポットの三ノ輪橋停留場と町屋駅前停留場を訪ねた。

 

 三ノ輪橋停留場は始発・終点で、咲きそろうバラの美しさから「関東の駅100選」に選ばれた。ボランティア団体が世話をする花壇も多く置かれている。

 

 三ノ輪橋停留場から一つ先の荒川一中停留場まで線路に沿う細い歩道を進んだ。途中、線路の反対側に真っ赤な花の群落が続き、「激しい色」「ゼラニウムみたい」と感嘆の声。

 

 町屋駅前停留場の付近はどの種類も花が元気よく見えた。どちらの停車場も乗降客はバラに気を止める向きは見られなかったが、ツアーの人たちは小雨の中、撮影ポイントを探しながら構図に入れたい電車の到着を待ち、バラの季節を楽しんでいた。

「間抜けぶり」競演 白酒・兼好二人会

 桃月庵白酒三遊亭兼好の二人会が5月13日、三鷹市であり、昼の部を聴いた。

 

 白酒と兼好は出身地や師匠が違い、白酒は兼好よりも真打ち昇進が3年早く、学年も一つ上だが、どこで気が合ったのか、この組み合わせの二人会は各地で開かれているようだ。チラシにはお互いが相手を描いた似顔絵を添え、少しも毒のない人物紹介が載っている。

 

 昼の部は白酒・兼好・兼好・白酒の順番。前半、白酒は床屋を舞台にまね将棋のドタバタや、文字をよく読めない男が見えを張って仲間にでたらめ読みしてからかわれる「浮世床」を、兼好は横柄な侍が渡し船の中でキセルのがん首を川に落としたことから緊張の場面が展開する「岸柳島(がんりゅうじま)」を演じた。

 

 中入り後は兼好が「夏泥」。東京・銀座で起きた高級時計店の強盗事件をマクラに、貧乏長屋に侵入したコソ泥が住人に同情して持ち金全てを渡してしまうお人好しぶりがおかしい。

 

 白酒は、吉原の花魁(おいらん)にほれ込み何としても会いたい田舎の金持ちと、この男の顔も見たくない花魁が次々と繰り出す逃避作戦を描いた「お見立て」で締めた。

 

 二つの演目は、笑わせどころがよく似ている。夏泥は被害者のはずの長屋の大工が借金のかたに取られている道具箱だけでなく、利息やなんやかやと理由が上積みされ、泥棒はそれらに応じる。

 

 一方、客と花魁の間に立つ男は「花魁が患った」から入院、死亡、寺、墓地へと言われるままに逃げ回るが、客の男は追及を緩めない。

 

 貧乏男のカネの要求も、花魁のうそも、どんどんエスカレートする。そのバカバカしさが絶妙な語り口により笑いの連続を生み、ともにサゲで終わる。白酒と兼好は打ち合わせて演目を決めたに違いない。二人会の醍醐味(だいごみ)を味わわせてもらった。

竪穴住居内部を公開 縄文中期の遺跡で復元 

週に1~2日、内部が見学できる下野谷遺跡公園の竪穴住居

復元された竪穴住居の外観。出入口は南向き、屋根は土ぶき

 西東京市教育委員会は5月5日、国史跡の下野谷(したのや)遺跡(東伏見6丁目)に復元した2基の竪穴住居の内部の一般公開を始めた。当面は週1~2回の公開とする。

 

 下野谷遺跡は縄文時代中期(約5千~4千年前)の集落跡としては南関東最大級とされる。昨年度の整備事業で屋根が「土ぶき」の竪穴住居が完成し、縄文遺跡「したのやムラ」が見た目でわかる景観となった。

 

 竪穴住居は見つかった土器から約300年の時間差があるとされ、内部の直径が約5.5メートルのものが古く、これよりやや小さく入り口が張り出している方が新しい。

 

 2基とも実際の遺構の真上に、発掘調査と同じ穴の位置に縄文時代と同じクリの木の柱を立て、屋根にもできるだけクリの樹皮を使ったという。

 

 半地下の床の中央にある炉は、古い住居では土器が埋められていたが、新しい方では浅い掘り込みだけが残されていたという。古い住居では糸を編んで作った布が柱と壁の間に敷き詰められている。

 

 世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうち環状列石遺跡のある北秋田市から訪れた母娘は、布の上に座ったり横になったりして「こんなに楽なものが縄文時代にあったなんて」と驚いていた。

 

 親子のほか夫婦の姿も多く、「天井が高い」「意外と涼しい」などの感想が聞かれた。

 

 市教委は遺跡の整備地内に畑を作り、大豆や小豆の原種、エゴマなどの栽培にも乗り出し、したのやムラの暮らしを広く知ってもらう考えだ。現在の下野谷遺跡公園に代わるような集落の愛称も今月いっぱい募集している。

 

 内部公開の次回は5月12日で、午前10時~午後4時30分。6月まで公開日が決まっており、愛称募集の詳細とともに市のホームページから下野谷遺跡のサイトへ。



 

東久留米・柳窪 「緑の島」の古民家巡る

当主から柳窪集落の歴史や野崎家の屋敷構えなどを聞く

柳窪集落への入り口の一つ。大ケヤキの並木が「緑の島」を実感させる

 NPO法人「東久留米の水と景観を守る会」など主催の柳窪見学会が4月29日にあり、東久留米市の内外から約80人が参加した。

 

 柳窪地区は鎌倉時代の武士団が居住したことにまでさかのぼるとされ、江戸時代後期から大正時代にかけて建てられた伝統的な民家や土蔵が屋敷林とともに多く残っている。

 

 これは宅地開発の波が押し寄せたとき、地元住民有志は資産価値よりも武蔵野の面影を残すことを選んだためだ。開発抑制の市街化調整区域とするよう行政に働きかけて平成のはじめに実現した。約12ヘクタールが「緑の島」と呼ばれる景観を保つ。

 

 「守る会」は柳窪集落の人たちの協力を得て毎年春と秋に庭先から古民家を見せてもらう見学会を行っており、今回はコロナ禍による4年間の中断を経ての再開。

 

 参加者は午前と午後、それぞれ10人前後のグループで案内された。集合場所の西武バス停留所柳窪1丁目に近い畑で、戦時中に途絶え昭和の終わりに復活した「柳久保小麦」の生育状況を見て「野崎家」へ。

 

 バス通りから数歩入ると、樹齢100~150年と推定される太く高いケヤキの並木が若葉のトンネルを作り、緑の島に踏み込んだことを実感。

 

 野崎家の主屋は1877(明治10)年ごろに建てられた柳窪の典型的な大型民家。15代当主という野崎林太郎さん(37)は、戦前かやぶき屋根だった家の写真や柳窪集落の周辺が畑だけだった戦後間もないころの航空写真などを見せたり、屋号の由来を説明したりした。

 

 多摩地方ではいち早くブルーベリーを本格栽培するなど都市型農産物の生産や販売に力を入れる野崎さんは「農家の暮らしや地域の歴史をこれからも伝えていきたい」。

 

 このあと市内で唯一かやぶき屋根を残し、立派な薬医門や式台(玄関)などを構え、幕末の武州世直し一揆で襲撃された村野家住宅(国登録有形文化財)など4カ所を見て回った。