水上バスを運航する東京水辺ラインがクルージングと鉄道史まち歩きを組み合わせた「歴史クルーズ・小林祐一の鉄道散歩~山手線がつくった街『東京』~」が2月27日にあり、29人が参加した。
小林さんは交通史学会の会員で、JR東日本の山手線に詳しいという。クルージングに先立ち、「『汽笛一声』から高輪ゲートウェイまで 山手線開拓の歴史をたどる」と題して講演。
日本の鉄道は東海道と中山道に沿う形で計画されたことや、池袋―田端間が最初に山手線と名付けられ、1932(昭和7)年に現在の周回する山手線の原形が完成するまでの曲折、2024年に正式開業をめざす高輪ゲートウェイ駅の特異点などを話した。
水上バスは両国リバーセンターから出航。隅田川を下り、レインボーブリッジの手前でUターンしてウォーター竹芝に着岸した。
強風のため上部デッキには出られず、全員が客室で着席したまま約1時間、橋や沿岸の風景を見ながら、小林さんが話す隅田川の水上輸送や山手線沿線の開発にまつわるエピソードを聴いた。
下船後はガイドレシーバーを装着してまち歩き開始。JR新橋駅近くに復元された1872(明治5)年開業時の新橋駅舎の外観とプラットホームをビル3階から見下ろし、実際にそばで線路などを見た。駅舎内の展示施設も見学。
超高層ビル42階の和食レストランで食事をとり、新橋駅でD51動輪や明治時代に米国から輸入したホーム階段の鉄柱を見て、小林さんの解説を聴いた。
新橋駅西側の烏森口付近から東京駅に向かい、高架下のレンガ積みの壁沿いをひたすら観察歩きする。れんがを横に並べた列の上下が縦置きなのは鉄道技術と同じくイギリス式だという。
ガード下の通り抜け空間は線路やバラスト(砕石)の重さによる地盤沈下を抑える役割を担う。有楽町側のアーチの幅が新橋のものより狭く、アーチとアーチの間隔が近いのは地盤が強固だから。
道路と立体交差するガードには建設当初のリベット打ちの鉄柱が残っていて装飾性も高い。
見慣れたれんが壁やガードの柱にも、鉄道遺産があふれている。小林さんは東日本鉄道の収入のうちガード下の飲み屋街の賃料など不動産収入がかなり上位を占めていることも教えてくれた。
まち歩きの終点は東京駅。出口から出口まで1.1キロあって国内で最も長い駅と言う。駅舎外壁のれんが壁の装飾目地、丸ビルに保存展示されている基礎材のスギ丸太と、ここでも雑学の上積みがあった。