JR横浜線片倉駅に集合。駅からほど近い片倉城跡(都史跡)は二つの川の合流点に造られ、三方を崖に守られた中世の城跡で、一帯は市の公園になっている。長崎の平和祈念像の制作で知られる北村西望の彫刻や西望賞を受けた作品群を見て住吉神社、本丸広場、二の丸広場へと上る。台地の上に広がる畑の農道を通り、横浜線の下をくぐって今は住宅地の生活道路と化した絹の道へ。不規則な曲がりの多さが昔道の名残という。
東急片倉台団地の坂を上り、国道16号バイパスの上を越えると大塚山公園。傾斜が急で長い階段を上る。振り返ると八王子の市街地が一望でき、一息つく。階段を上りきると、絹の道は右方向であることを示す標識がある。昔は左にも絹の道が延びていたが、宅地造成のために山が切り崩されてなくなったとの説明が、この日のガイドの藤本さんからあった。
この地(鑓水=やりみず)の生糸商人の繁栄の跡である道了堂跡に立ち寄り、いよいよ市史跡の絹の道を踏みしめる。横浜の開港から横浜線が開通するころまでの約50年間、輸出用の生糸が八王子から横浜まで運ばれた道の一つだ。昔の面影をよく残している未舗装の約1キロは都内で唯一、文化庁の「歴史の道百選」にも選ばれた。ただ道の真ん中がえぐれ、そこに小石や落ち葉も散らばっているので足元に注意が必要だ。
石碑などが立ち並ぶ交差点からは舗装路。ほどなく絹の道資料館に着いた。資料館は生糸商の八木下要右衛門屋敷跡で、市が大塚山公園とともに整備した。昼食後、ボランティアガイドから市(いち)や養蚕、当時の鑓水村の様子などについて聞いた。「生糸は横浜で三井などの売り込み商人に買いたたかれ、鑓水商人は言われるほど大もうけしていない」との話が印象的だった。
資料館から諏訪神社、永泉寺と巡った。諏訪神社は石灯籠の台座に当地の豪商たちの名が読み取れた。本殿に収まる三つの社の本殿の彫刻の素晴らしさも往時の経済力の証しという。永泉寺の本堂は朽ちていた八木下要右衛門の母屋を解体し移築、改築したものだ。
永泉寺に向かうころから遠雷が聞こえ、小泉家屋敷に着いて間もなく雷雨に襲われた。当主に雨宿りを乞うと、快く軒下を貸してくれたどころか、「鑓水」を見せてくれるという。ふだんは立ち入ることのできない土間に入り、裏山に流れ出る地下水を竹筒で屋敷のそばまで導いている光景を見せてもらった。よく見ると竹筒の中にビニール管が通り、水はその中を流れていた。かやぶき屋根の母屋も鑓水も現在残っているのはここだけというから、きわめて貴重な見学だった。ほとんど雨が上がったのを見計らい、みな丁寧にお礼を述べて小泉家を後にした。