黒曜石と礫群からわかってきたこと 小平・鈴木遺跡資料館で展示解説

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 文化財特別展「鈴木遺跡出土の黒曜石と礫群(れきぐん)」を開催中の小平市鈴木遺跡資料館1123日、展示を担当した学芸員が解説するギャラリートークがあり、市内外から約30人が参加した=写真は黒曜石を見ながらの解説。

 鈴木遺跡は約3万5千年前~1万5千年前の後期旧石器時代の遺跡。日本最古とされる地層から新しい地層まで途切れることなく遺物が見つかっており、人々が繰り返し訪れた地と考えられる。面積も国内最大級といい、市は国指定史跡を目指している。現在は東京都指定史跡。

 今回の特別展は1974(昭和49)年の発掘調査から昨年度までに得られた成果のうち、当時は最も鋭利な石器となった黒曜石と、拳ほどの大きさの石を集めて石焼き料理などをした跡とみられる礫群について「速報」するもので、ギャラリートークは初めて。

 黒曜石は、鈴木遺跡資料館横の新小金井街道から出土した約250点を産地別、地層の年代別に展示。礫群は、発掘当時の石の位置や角度を再現し、長持ちするよう加工し直した標本二つを初めて一般公開している。

 黒曜石の担当者によると、東京学芸大によるX線分析の結果、産地は大きく分けて①八ヶ岳山麓地域3カ所②伊豆箱根地域2カ所③伊豆諸島神津島地域―の3地域だった。

 さらに地層別に分布点数の割合を見ると、最古の層では神津島が過半を占め、その後は伊豆箱根が多くなったり、八ヶ岳山麓が圧倒的に高い比率を維持する中で一時は姿を消した神津島産が再び現れたりする。

 これらのことから「旧石器時代を通して黒曜石という石材を獲得する戦略が移り変わったと考えられる」と話した。

 一方、礫群については、鈴木小や新小金井街道などから200基以上見つかっている。食料の調理場跡であり、標本に赤っぽい石が多いのは火を受けたことによる変色、黒い付着物は獣の肉の脂肪だ。「現代のキャンプ場をイメージしてもらえばよい」と学芸員。石がまばらな所は、移動の時に持ち去ったためという。

 これまでの調査結果と過去の個別の報告を突き合せたことで、遺跡東部の石神井川水源に向かって三つの台地があり、ある時期には長い間、大勢の人々が生活を営んでいた可能性があるとわかった。

 市は国指定史跡へ向けて来年、総括報告書をまとめる予定。

 特別展は来年3月18日までの水・土・日曜日と祝日(1225日~1月5日を除く)。入館無料。(下の写真は礫群の標本前での解説)
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