飛鳥ロマン今も 高松塚古墳壁画 発見50周年シンポ

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色や凹凸が忠実に再現された「飛鳥美人」の複製陶板にタッチ

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定員の5倍の応募があったシンポジウムの会場

 高松塚古墳壁画(国宝)の発見50周年を記念するシンポジウム「高松塚が目覚めた日-極彩色壁画の発見」(文化庁など主催)が3月20日、東京・有楽町朝日ホールであり、5倍の抽選に当選した300人が参加した。

 

 発見当時文化庁職員だった有賀祥隆(よしたか)東北大名誉教授は基調講演で、高松塚古墳と同じ奈良県明日香村にあり極彩色壁画が描かれたキトラ古墳と比較。天井石の形や星宿図の日・月の位置の違いから「キトラより少し時代が新しくなっての制作と考えられる」と述べた。

 

 壁画の制作年代については、描かれた人物像のえりの合わせ(左前)や袖口の大きさなど服装の特徴からは、708(和同元)~719(養老3)年の間に狭められるという。

 

 四神図の青龍と白虎、男子群像の配置、女子の上衣のしわの描き方などは8世紀初頭の中国の表現描写法がいち早く取り入れられており、その技量を高く評価した。

 

 討論では、東壁の男子群像は表情や頭の位置がそろっている画法から絵師グループでも筆頭格の人が描き、西壁の男子群像はそれに次ぐ人が担当したのではないかと話した。また「飛鳥美人」と呼ばれる西壁の女子群像は、衣服にしわを入れたところに進取の気概を感じ、「若手の絵師ではないかと想像する」。

 

 また被葬者については8世紀初頭ごろ死んだ「天武天皇のおじクラスではないか」との見方を示した。

 

 壁画は8面すべて原寸大で陶板に複製され、奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館で保管されている。シンポジウムには複製陶板を製作した大塚オーミ陶業(本社・大阪市)の大杉栄嗣(えいつぐ)社長も登壇し、工程を説明した。

 

 画像は発見直後に撮影された写真原板に自社の伝統技術を施し、壁画下地のしっくい表面の凹凸は新たに3Dデータで再現。最後は経験豊富な技術者が手を加えて完成度を高めたという。

 

 この日、飛鳥美人などの試作品4枚がシンポジウムと別の会場で展示され、多くの参加者がじかに触れて高精細な出来栄えを確かめていた。