出会いを拾い「生きた寺」づくり 千葉・安孫子の住職語る

イメージ 1 武蔵野大学仏教文化研究所の連続公開講座「仏教の未来―新しい挑戦に向かって」の最終回が11月3日、同大であった。千葉県我孫子市の真栄寺住職、馬場昭道(しょうどう)さんが「生きた寺を作ろう―一住職の願い」と題して話した。
 馬場さんは40歳のとき、宮崎から我孫子に移り、檀家ゼロから新しい寺をおこした。「生きた寺」を作ろうと思い続け、25年たった。「すべてが手探り」と言いながらも、「出会いの縁を拾ってくる」ことがすべての策であるとも述べた。
 出会いをキーワードに数々の体験が語られた。移住の日、羽田空港から乗ったモノレールの車内で客の一人が「この世で坊主が一番きらいだ」と大声で叫び、隣の車両に移った。「東京はすごい所だ」と驚くと同時に「私の力になり、勉強になった」。
 宮崎にいたとき、女子短大の学園祭の講演を引き受けた。物陰で数人の学生が「坊さんに青春はあるか」と論じているのが聞こえた。その場では反応せず、壇上で説いた。「青春は年齢や職業で決めるものではない。定めた目的に燃えるもの、志があれば青春の真っただ中だ」
 高3男子が柔道大会で負け、周囲の期待に応えられなかった。責任を感じ、また父親の怒りを恐れて家出した。空腹を抱え寺で見つかった。「寺に置いて」という本人、知らせを聞いて駆けつけた父親は和尚が諭すのを息子へのものと勘違い。父親が中座したすきにそれをなじる妻。その後大学に進んだ息子が寺を再訪したので近況を聞くと、父親の暴力的な言動は何も変わらないという。「人間は生まれて聞くことから始まる。聞く心、聞く耳をもってください」と、参加者に説いた。
 真栄寺の除夜の鐘は百八つで終わらない。「もっといろいろな心がある。それらを打ち砕いて新しい年を迎えてほしい」
 「自分自身に出会う寺、命の大切さが見える寺にしたい」とも話した。