岩手の旅(1) 猊鼻渓、平泉

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定年退職後にウオーキング郷土史の勉強などで知り合った西東京市東久留米市のシニア男性6人が、1013日から23日の日程で岩手県の旅に出た=写真は猊鼻渓(一関市)。

一ノ関までの行きと盛岡からの帰りは東北新幹線、その間はずっと同じジャンボタクシーを使った。10月の東京は不安定な天気が続いていたが、旅行中の岩手は傘の出番がなかった。

一ノ関駅から真っ先に向かったのは猊鼻渓(げいびけい)。約20分で着くと正午に近く、レストランで全員が温か冷のてんぷらそばを注文した。

猊鼻渓名物の舟下りの船頭さんは女性だった。船頭18人のうち女性は2人という。舟下りといっても、まずは上流へとさおを差す。舟べりをカルガモが数羽伴走し、水面下をウグイの群れがついてくる。船着き場から少し歩いた先で、高い絶壁が長く広がる対岸の大猊鼻岩を眺める。

下りは船頭さんが歌う「げいび追分」が渓谷に響いた。「あ~、う~と母音をとにかくのばすのが特徴」と船頭さん。天然のエコー装置が絶妙に効き歌声を引き立てる。見頃が11月初旬ごろになりそうという紅葉はなくても十分に楽しめる往復90分だった。

猊鼻渓からは、ユネスコ世界文化遺産に登録された毛越寺(もうつうじ)と中尊寺(ともに平泉町)を巡った。毛越寺までは車で30分足らず。海を表し、浄土庭園の中心となる大泉が池を一回りする。遺された基壇や礎石に平安の大伽藍(がらん)を想像する。曲線を描く砂地の洲浜(すはま)や荒磯を思わせる出島と立石(たていし)は海浜の趣を表現しているという。

中尊寺へは「歩かなくてもよいように」と坂の上駐車場に車を入れた。奥州藤原氏の遺した文化財を収める讃衡蔵(さんこうぞう)を見学してから国宝・金色堂へ。堂全体を金箔(きんぱく)で覆い、極楽浄土を現世に表していて、中尊寺の創建以来、現存する唯一の遺構というが、仲間の間では「なぜ壊されたり盗まれたりせずに残ったのだろう」との話題でひとしきりにぎわった。

帰りは月見坂を下った。弁慶最期の地となった衣川古戦場が見えるはずと、昔の記憶を頼りに物見の場所を探しながら中尊寺を後にした。
車は東北道を走り、午後5時半ごろ、盛岡市郊外にあるつなぎ温泉のホテルに着いた。(下の写真は猊鼻渓の舟下り、毛越寺の大泉が池)
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