目標大学を決定づけた叔父が死去

「心の兄貴」だった叔父の葬儀会場=千葉県八千代市

 脳出血の予後通院の翌日8月25日は午後6時から叔父の通夜。翌26日は午前11時45分から告別式と初七日の繰り上げ法要が千葉県八千代市で営まれた。

 

 叔父は私の10歳年上で享年84。彼が大学生の時、東京・大井町の下宿から横浜の私の実家に時々遊びに来ていた。小学生の私にライト兄弟の伝記を土産に持ってきてくれたことやキャッチボールの相手をしてくれたことを思い出す。

 

 なによりの影響力は、私に同じ大学を受験する動機を与えたことだ。叔父は就職後もわが家をたずねて来た。私も下宿に行きたがったりした。年の離れた兄貴という意識は他界しても変わらない。

 

 葬儀場は、西東京市から電車を乗り継いでほぼ2時間かかる。連れ合いの叔母が「おいっこは全員来てほしい」と望んでいた通り、男子4人が東京と近県から集まった。私が訃報を取り次いだ横浜の弟は電車で来て、先着していた。

 

 祭壇の遺影は3年ほど前に、マイナンバーカードを作るために奥さんが撮影したものだとわかった。目力が強く、意志の強そうな表情は若いころの印象と同じだ。

 

 生前は新車選びに意欲を見せていたが、子どもたちの説得を受け入れて今年2月、マイカーを処分。それでも「90歳まで生きる」と家族に宣言していたという。

 

 直接の死因は多臓器不全だそうだが、1カ月ほど前に家の中で転倒し大腿骨を骨折、頭も強く打って大学病院に入院した。数日で意識がなくなり、体も手術に耐えられる状態でなかったという。

 

 僧侶による儀式の後、弟が会食を辞退したので私も便乗した。新型コロナの感染者数が高止まりを続けており、二人とも「会食の場は危険」との思いからだった。

 

 弟とは死去した叔父の姉の葬儀以来3年ぶりの対面。帰りの電車の途中まで近況などをしゃべり合ったが、「75歳まで働き、88歳の誕生日を盛大に祝う」と相変わらず元気に目標を語っていた。少しは見習うのがよいかもしれない。