大正と令和、恋愛・結婚めぐる母娘の会話劇…とその後

 演劇を見たくなり、4月19日に最前列の席が取れた三鷹のホールに赴いた。劇作家・岸田國士が大正時代に書いた「葉桜」の朗読と、時代を現代に置き換えた2人劇「あたしら葉桜」が連続して演じられた。

 

 舞台は8畳ひと間。登場人物は母と娘、とシンプルな舞台設定。娘の恋人のことを知りたがり質問攻め、カレシの人間像や結婚生活を妄想し、娘の相手にふさわしいかを早合点する母親。いつの時代も年頃の娘を思う母親の心情は変わらないのだろうな。

 

 そんな感想を持った私だが、入場時に渡されたチラシによると、作家は家父長制の色濃い時代とネット社会の現代との恋愛観や結婚観、大正末期の口語と現代の関西弁口語と、「比較」の妙を狙っていたらしく、別のメディアでは現代の娘を同性愛者とする設定だとも言っていた。

 

 深い所を知らなくても、2人の俳優は見事に役にはまっていて、私も割って入って口出ししたい気持ちになった。母親役の俳優さんが、あっちへ飛びこっちに飛び跳ねて正座を繰り返すというエネルギッシュな一人芝居は、ただただあっけにとられた。

 

 3年前、コロナ禍により公演直前で中止に追い込まれた「あたしら葉桜」だそうだが、その分、熟成も進んだのではないか。

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この感想を書き留めるのに時間がかかったのは、二つの理由による。

 

 一つは、帰路に向かい、バイクにまたがり会場を離れかけたとき、左に「立ちごけ」した。左右の安全確認の際、視野の左に車が見え、ブレーキかけた瞬間、車体の下敷きに。

 

 車体は一部損傷、体も胸の打撲と手足の擦り傷で自力走行に問題がなく、無事約8キロを走って帰宅。

 

 胸の痛みがひどくなってきたので肋骨(ろっこつ)骨折を疑い、翌20日病院へ。レントゲン撮影すると、明確な骨折やヒビは認められなかったが、「骨折しているつもりで生活して」と整形外科の先生。この日は演劇鑑賞を文章化する気力が湧かなかった。

 

 医師が着用を勧める胸部固定帯はこの時点では不要と思い、家にある鎮痛テープを患部に貼って様子を見ていたが、腕を曲げたり伸ばしたりしても胸に鈍痛が走り、寝床につく時も、横になり上体を動かす時も痛みが走り、睡眠に不安を感じる。

 

 22日は通風の経過を診てもらっている別の整形外科医師の予約診療日。肋骨骨折の件は引き継がれていて、症状を訴えると、胸部固定帯での処置と痛み止めの薬の処方箋(せん)を出してくれた。

 

 こうして「あたしら葉桜」を鑑賞したことを記録に残せるまで復したのだが、体調とは別に、ためらいがあったことを白状する。

 

 それは舞台そのものに関するもろもろの不明や疑問。チラシをろくに読まず、基本的に「笑い」を求めてチケットを買ってしまった。そもそも岸田國士は読んだことがない。作家や演出家の企図をどれだけ察知して観劇に臨んだのか。そんな人に何が書けるのか。見終わった今なお、「あたしら葉桜」のタイトルの意味をあれこれ考える。…ひどいものでしょ。