「リ組会」という集団がある。江戸の火消しみたいだが、1966年に東京の私立大学の同じ学部に入学し、語学のクラスで2年間一緒だった者たちの、まあ、飲み会仲間の名前だ。
新型コロナによる行動規制が緩み、3月31日に東京都江東区の焼き鳥店で3年2カ月ぶりに顔を合わせた。
3年余の空白は、75歳以上の男たちに建設的な何物をももたらしていないことがわかった。第一に、7人のメンバーのうち2人が参加できなかった。1人は膝の状態が悪く長く歩けない。もう1人は奥さんの病気でそばを離れられない、ということだった。
最後に店に入ってきた男は心臓と肺をつなぐ大動脈の手術を受けるので5月で老人福祉施設の職を辞めると言う。模式図を出して説明した。ついでだから私も昨年夏、脳出血で入院したことを話した。
すると、ゴルフで腰を痛め治療中と言う男がいて、話題はいったんゴルフに移ったが、唯一の運動がゴルフという別の男は「飛ばなくなった」と嘆いた。
病気談義を黙って聞いていた男は「車の免許を返納した」と運転経歴証明書を見せた。話は医療保険で受け取った保険金をどう取り扱うか確定申告のやり方にも及んだ。
そんな中で「健康で100歳を迎えるための講演会」をプロデュースしているとの発言に、「おれは83歳まで生きれればよい」と受ける男がいた。なぜ半端な年齢なのか、ツッコミはなかった。
健康や病気が話題の中心になることは、誰もが予想している。それでもどこかで誰かが息抜きの話題転換を試みるのが常だ。「今日のシャツ、おしゃれだな」「きれいな白髪だ」。しかし、男同士の褒め合いは長くもたない。たいていは毒を含んだ言葉が続き、笑い合う。
体に良いことをしようと、だれもが思っている。7千歩から8千歩は毎日歩いているという男は、いろいろな機能を持つスマートウオッチを腕から外して見せてくれた。手術を控えた男は趣味を広げ、俳句を始めたと言う。
3年余の時間に起きたそれぞれの事件-。だが、客5人がそろうと、時をさかのぼるかのように前回の宴席で少量飲み残した焼酎の一升瓶が出てきた。みんなで感激の声を上げた。
ただ、買い足した新しい一升瓶を半分近くも飲み残したことと、コース料理が終わった後の、締めのおにぎり、またはお茶漬けを誰一人注文せず、いや注文することさえ忘れていたいたことが、老いを如実に証明していた。
ともあれ、この集まりをこれからも続けていこうと全会一致で決め、大手術とリハビリを待つ一番ヤバい男と一人一人握手し、10月の再会を誓うのだった。