欲しくなったお地蔵さまの救い

戦争の傷痕をとどめる六地蔵もある=西東京市の宝珠院境内

 武蔵野大学生涯学習講座に「畜生・餓鬼・地獄の三悪道の世界を考える」を見つけ、三鷹市のサテライト教室で受講した。

 

 怖いもの見たさの俗な気持ちと仏教への関心が受講の動機。講座は7月から10月まで計5回あり、各回90分。受講料は1万2500円。テキストは中古本を買った。この間、脳血管の手術で入院したが、全部出席できた。

 

 最も印象に残るのはお地蔵さま(地蔵菩薩)の話だ。地蔵といえば、子どもの頃に読んでもらった絵本の「かさじぞう」を真っ先に思い出す。定年退職後に住みついた、ここ西東京市には六地蔵があるし、東京都内のまち歩きでは「しばられ地蔵」や「塩地蔵」を見た。けっこう縁がある。

 

 講義では、地蔵は「地獄」との関係で語られた。

 

 「熱心な仏教徒でなければ、地蔵を敬うのがよい。ただし、あくまでも(裁きを受ける)閻魔庁にいる段階で地蔵を呼び救いを求めること。地獄に落ちたら地蔵は手が出せない」

 

 では、地獄に落ちてしまったらどうするか。地蔵は地獄の苛烈な責め苦を受けてくれる(代受苦)ので、少しでも自分の責め苦の時間が短くなるよう、この世の人に法華経を読んだり書写したりと追善仏事を行ってもらうとよいという。

 

 死に方にも気をつけなければならない。風呂場で倒れるなど脳梗塞心筋梗塞で急死しても極楽往生できるとは限らない。それは武士が合戦の場で背後からバッサリ切られたり弓矢に射られたりして落命するのと同じで、心静かに念仏を唱えるなど臨終正念(しょうねん)の作法をしていないためだ。

 

 脳の血管が危うい状態の私にとって、今からでも地蔵信仰は遅くはないかな。