「文化財が語る西東京市の江戸時代」と題する講演会が11月24日、西東京市郷土資料室であった。
東京文化材ウィークに合わせて市教育委員会が主催し、約20人が参加した。
講師は成蹊中・高校教諭で市文化財保護審議会委員の行田健晃(ぎょうだたけあき)さん。
行田さんは江戸時代の西東京市を知るキーワードとして「武蔵野台地」「青梅街道」「玉川上水」「鷹場(たかば)」を挙げ、田無村を中心に商業の発展などをたどった。
市内には国や東京都の指定したものを含め63件の文化財がある。行田さんは田無村名主の下田半兵衛にまつわる「稗(ひえ)蔵」「養老畑碑」「養老田碑」「田無神社本殿」を通して、五人組から周辺の村に及ぶ農民の生活保障の仕組み「三重のセーフティーネット」があったことを解説。
江戸時代の後半期、治安が乱れると農民たちは自衛のため剣術を習ったり、鉄砲を持てるよう幕府に願い出たりした。一方代官が治める江川領に農兵取り立てが許された。農兵のかぶったかさ(韮山笠)と幕末の洋式銃が市指定の文化財だ。
「三重のセーフティーネット」に救われなかった農民は武州世直し一揆を起こし、迎え撃つ田無農兵と柳窪村名主分家・村野家で戦闘に。農民による同士討ちは江戸社会の限界を示す形となった。
明治新政府で品川県の一部になると、もう一波乱。地域の実情に合わない県の供出政策に対し、村民が減額を求めて県庁に直接出向いたことで多くの犠牲者を出した御門訴事件についても詳しい説明があった。
行田さんは、品川県の役人が上保谷新田の農家で手当たり次第にやりを刺した際に開けた穴の残る長持ちを「文化財に加えたい」と述べた。
また文化財の価値について「人の営みを知ることができ、歴史を知ればもっと味わい深い」と文化財に興味を持つよう参加者に訴えた。