「『広重が描いた京への53次』と「『幕府が管理した大坂への57次』」を副題に、志田威(たけし)さんが話した=写真。
志田さんは、東海道は徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利してわずか3カ月で江戸~京に約40の駅(宿、宿駅)を設け、宿駅伝馬制を導入したこと、2代秀忠は東海道を分岐させ大坂までの東海道を新設、3代家光が伊勢(三重県)に庄野宿を設けたことで、江戸~京は53継立(つぎたて)、江戸~大坂は57継立が完成したと解説。
志田さんは、「家康は、『広重にしてやられた』と泣いているのではないか」と受講者を笑わせた後、「教科書は今も53次と57次の二通りの表記がある。小さな問題との考え方もあるが、幕府の資料が残っており、歴史は正しく伝えたい」と強調した。