「新聞の時代」は過ぎたのか 横浜・新聞博物館を見学

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情報の価値判断を象徴する全国各紙の1面が100枚余り並ぶ

 地域のサークル仲間7人で一足早い忘年会を神奈川県の湯河原温泉で催した帰途の11月23日、横浜市中区にある日本新聞博物館(ニュースパーク)を見学した。

 

 新聞業界に多少とも縁のある人が3人いながら、誰も来たことがない。中華街で昼食をとるまでの「つなぎ」でもあった。

 

 横浜情報文化センターのビルに入ると、シンボルモニュメントの輪転機がそびえる。1979年から97年まで静岡新聞社で使われていたものだ。

 

 展示室は2階と3階にあり、入館料は一般400円。ホワイエには日本新聞協会加盟の新聞103紙が展示されていた。いずれも1面で、今年1~3月発行の中から各社に自信作を選んでもらったという。「東北地方の新聞は『3.11(東日本大震災)』を扱ったものが目立ちます」と係の人。

 

 新聞博物館がなぜ横浜なのか。それは日刊新聞発祥の地だから。では、何という新聞なのか。パンフレット類には明示されていないが、展示室に入ると「横浜毎日新聞」(明治3年)とわかる。

 

 博物館は2000年に開館し、日本新聞協会が運営する。今年4月、歴史展示ゾーンを拡充。明治・大正期の新聞の発展、戦時統制期、戦後の再出発と現代のほか、新聞を支えた技術が豊富な資料から伝わる。

 

 6月には来場者が100万人を突破した。この数字を素直に喜べるのか。近年の来場者は年間約7千人で、小中学生の社会見学が多いという。

 

 館の人が若者の団体に新聞名の入ったたすきと、それを掛けて配達した新聞少年がいたことを説明していた。私たちが記憶からすぐ引き出せることが、すでに「歴史」になっている。

 

 人口減や電子メディアの普及などによる発行部数の減少はいつまで続き、新聞社はどのような活路を切り開くのか。次の展示のリニューアルは、そう遠くないような気がする。