タイ仏教が作った「自由とほほえみ」の国

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タイの仏教について講演した山田均教授=武蔵野大学西東京市

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山田教授が紹介した、出家したばかりの少年僧

 「世界の国々と仏教」を統一テーマとする連続公開講座武蔵野大学仏教文化研究所主催)で12月4日、武蔵野大の山田均教授がタイ仏教について話した。武蔵野キャンパス(西東京市)の会場に約60人が訪れた。

 

 山田氏は40年近くタイに行き来し、同国の仏教史を研究している。タイ人は10~11世紀に中国南部から民族移動し、13世紀に仏教と出合う。現在、国民の98%が上座部仏教を信仰しているという。

 

 タイでは小学校で毎日お経を唱え、「老・病・死」から逃れられないことや「諸行無常」など仏教の基本を教え込まれる。

 

 山田氏は、タイとは「自由」を意味し、タイ人は「穏やかさ」「寛容さ」「気前のよさ」を大切にする。食料に恵まれていることもあり、「幸せ度の高い国」という。

 

 タイ人の価値観を作った上座部仏教は、すべてのことは原因があって生まれ、それを原因として別のことが結果として生まれる、と考える。つまり、この世は「原因と結果の連鎖」で、善の種をまけば善の果実がなる。

 

 純粋に善の種をまこうとすれば、真理のために生きている僧をサポートすればよい。毎朝の托鉢に応じる、出家したい若者に衣や鉢の費用を寄付する、自分自身が出家する。どれも功徳を積むことになる。ただ上座部仏教では女性は出家できない。

 

 では、自分とは何か。自分は現象に過ぎない。自分であることは死とともに終わる。しかし自分の行為の結果=業から逃れることはできない。輪廻(りんね)とは業が引き継がれていくことで、タイ人が輪廻を信じていることが日本人との最も大きな違いという。

 

 個人という現象が終われば、その人に再び会う「あの世」はない。だから、火葬の後は墓も年忌法要も仏壇もない。お骨にも興味はなく、「海に散骨するときは舟遊びの気分のよう」と山田氏。

 

 生前や死後にとらわれず、今を生ききることが大切だ。悟りの世界は、「今」の先にしかない。幸せは「今ここ」にある。山田氏は「しあわせのタイ仏教」と題した講演をこう結んだ。

 

 凡人の私は、怒らず、他人を責めず、けちけちしないというタイ人にだって例外の人はいると思うし、稲作に恵まれて飢えたことのない民ゆえに「チームワークが発達しない」という側面にも興味をひかれるのだった。